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堺探検クラブ「堺旧港まち歩きマップ」イラストと解説文

2007 年 11 月 17 日

堺旧港_01

①堺駅
近畿の駅100選。江戸時代は戎島附洲新田(大和川の堆積土砂)で、明治21年(1888)に市最古の駅として開業。当時は吾妻橋駅とも呼ばれました。構内に「大正の広重」こと吉田初三郎(1884~1955)が河盛安之介市長の懇嘱で昭和10年(1935)に描いた「堺市鳥瞰図」(堺市博物館蔵)と、江戸初期の「南蛮屏風」(同館蔵)の壁画が掲示されています。

②堺駅観光案内所
南海堺駅ビル1F(9:00~18:00)、堺駅西口改札横(10:00~19:00)の2箇所あります。堺観光ボランティア協会のガイドさんが観光相談にお応えしてくれます(10:00~16:30 ※第1月曜日・年末年始除く)。またレンタサイクル(1日300円・貸出時は運転免許証など本人証明必要)も行っています。

③川の駅・堺(観濠クルーズSakai乗船場)
自由都市・堺の象徴=環濠の名残である内川・土居川で、観光船を運航するNPO法人観濠クルーズSakaiの乗船場です。バーテンダーや線香屋の若旦那、主婦など多彩なガイドさんによるクルージングが楽しめます。※運航期間:3月末~11月の土日 所用時間:約50分 定員:大人18名 料金:大人1000円・小人500円(小学生以下) 予約・問合せ:072-229-8851(受付時間10:00~17:00)

④南蛮橋(南蛮人像)
堅川に掛橋。南蛮人像が設置されています。中世・堺は日明、南蛮貿易港として栄え、数多くのポルトガル商人や宣教師が来堺しました。多彩な文化交流から火縄銃、線香、三味線、芥子餅などが生まれ、堺の名産となりました。

⑤堅川
宝永元年(1704)に大和川付替で土砂が溜まり、堺の港湾機能に支障が出ました。浅草商人・吉川俵右衛門は、奈良~江戸間の材木中継港として堺港復興を訴えて、堺商人と協力して修築を開始(寛政2年・1790)。暴風雨に遭難しながらも約20年がかりで工事を遂行、堺旧港の原型が形作られました。堅川は船が出入りする川口ですが、その工事は町衆総出の砂持興業で「町中追々砂持手伝とて、のぼり吹きしめ、花やかに仕立て、ばば、女、子供にいたるまで南北残らず出候。(中略)二万余人の人数、みなみな波止前にて太鼓・鐘・いろいろ鳴り物にてはやし、先代未聞の賑わひ、筆につくしがたく」と「堺代々御奉行記」にあります。吉川俵右衛門(江戸=東=吾妻)の功績を讃えて、内川に吾妻橋が架けられています。

⑥龍神橋
天保9年(1838)架橋。大和川付替で堺港は寂れる一方なので、天明6年(1786)越後の龍沢山善法寺の僧(注1)が港復興祈祷を行うと、日没後に海上に燈明が煌めきました。これぞ「龍神の霊験」と評判になり、吉川俵右衛門の築港事業で出来た新地を龍神と名付けました。遊郭、芝居小屋、御茶屋などが並び、「龍神よいとこよい酔心地 むかし隆達トントン拍子 今は小唄の音を聞きや可愛い いとしお方の花だより 龍神よいとこよい廓」といった粋な「龍神小唄」(作歌:食満南北 作曲:杵屋和吉 振付:藤間門壽郎)が流れる新地として大いに繁栄しました。(注1)出羽庄内善宝寺(龍神尊)の僧という説もあります。37日間の祈祷後、経文を石に刻んで海中に埋めると土砂が退散して港が繁栄を取り戻した…というものです。

⑦二世中村富十郎住宅址
二世中村富十郎(1786―1855)は初代市川甚之助に入門、後に三世中村歌右衛門の門弟に。頭角を現して天保4年(1833)には大坂角之芝居で三世中村松江から二世中村富十郎を襲名しました。天保13年(1842)「役者投扇曲」では「若女形巻軸白極上上吉」の位付で「難波の太夫」と呼ばれて「江戸の飾海老」こと七世市川団十郎と並ぶ名女形でしたが、質素倹約が旨の天保改革で豪奢な生活を咎められ、摂津・河内・和泉から追放されました(団十郎も江戸十里四方追放に)。その後、天領(御免地)の堺に移住し、当初は戎之町大道で小間物屋・八幡屋を営みますが、才を惜しんだ新地世話方・松原武次郎の説得で、「娘道成寺」の白拍子などを新地北芝居(龍神橋通2丁)で演じて舞台復帰。大坂はもとより京の三条紅粉平といった富十郎贔屓が押しかけ、初日から満員御礼の大入り。また堺奉行より「旅役者取締役」に任命され、以後、堺を拠点に京、伊勢、名古屋、江戸などで活躍。嘉永2年(1849)には京都北側芝居で七世市川団十郎、三世尾上菊五郎と共演しています。安政元年(1854)には評判記の位付で「無類」となり、「堺の大太夫」とも呼ばれましたが、安政2年(1855)に堺で没。大小路東向井領に葬られ、本成寺(寺地町東4丁)、正法寺(大阪市中央区中寺町)に詣墓があります。

⑧龍神駅跡(現・コンフォートホテル堺)
明治36年(1903)、大浜公園で第5回内国勧業博覧会開催。堺水族館・大浜潮湯・大浜少女歌劇などが出来て、大正元年(1912)堺駅南方500メートルに龍神駅が開業しました。龍神新地にも近く、殷賑を極め、戦前は市最多の乗降客数で特急・急行は堺駅を通過して龍神駅に停車するほどでした。戦災後は旅客営業は龍神駅のみで堺駅は貨物駅でしたが、昭和30年(1955)に両駅を統合。龍神駅(現・コンフォートホテル堺)を堺駅として使用しましたが、昭和60年(1985)南海本線高架化で現・堺駅へ移転しました。バスロータリー中央部の「南蛮船」は堺の彫刻家・岡村哲伸氏の作品で、氏は堺市制110周年記念事業として龍女神像(北波止町)制作も手がけています。

⑨神明神社
天保3年(1832)に佐々木長門なる人物が稲荷明神等を祀って旭社としましたが、天保12年(1841)に堺奉行・水野若狭守忠一が天照大御神と豊受大御神を勧請。宿院町・布屋源治郎から敷地を寄進されて神明社と改めました。「堺のお伊勢さん」ともいわれます。境内には天保4年銘、天保12年銘の石灯篭や、龍神新地の遊郭の楼主が寄進した玉垣が残っています。また蘇鉄山山岳会の活動拠点で、一等三角点が設置されている日本一低い山・蘇鉄山(標高6.84mメートル。大浜公園内)に登れば「蘇鉄山登山認定証」(有料。1枚20円)を発行してくれます。

⑩龍神堂
龍神祈願で堺港が復興したと喜んだ新地の人々は、天保6年(1835)に善法寺を建立、龍神堂と絵馬堂を造営しました。しかし明治維新後に廃寺に。龍神堂だけが旭館(⑬旭橋の項目を参照)内に残り、昭和5年(1930)国道26号線敷設で当地に移りました。全国各地の郷土玩具を描いた堺の画家・川崎巨泉(1877-1942)が遺した自筆写生画帳「人魚洞文庫」に「堺大浜通一丁目龍神堂奉納絵馬 昭和六年九月写」とクジラの絵馬が写生されています。

⑪堺魚市場
古来より堺は漁業が盛んでした。奈良・京都への貴重な海産物供給地で、堺魚商人の中には春日社供菜人(春日大社には天文7年・堺魚屋弥次郎寄進の石燈篭が現存)や御所の禁裏御用などもいました。供菜人、禁裏御用は関銭(関所の通行料)免除で、海産物を納める代償に諸国を自由に通行する特権を得て、回船業(流通業)などへも進出しました。堺魚市場は代々、魚商人を営んだ名家・久家が秀吉から土地(現・英彰小学校付近)を賜ったのが起源で、江戸時代には魚市場(紺屋町浜=少林寺町西4丁付近)と海船魚市(柳之町浜=柳之町西3丁付近)が開場。元禄8年(1695)には問屋30軒、仲買600軒と大繁盛しましたが明治以降に現在地(栄橋町)に移転しました。鎌倉期に住吉大社に魚を奉納して豊漁祈願し、市をたてたのが起源の大魚夜市(毎年7月31日に大浜公園で開催)は堺の夏の風物詩として知られています。

⑫旭橋の橋柱(アサヒビールゆかりの地)
天保5年(1835)に掘られた旭川に架橋。昭和30年(1955)に川は埋立てられ橋柱のみです。嘉永(1848〜1853)頃に描かれた「泉州堺湊新地繁栄之図」(堺市立中央図書館蔵)には、旭橋近くに「朝日の家」が記されていますが、堺屈指の御茶屋で有名でした。その後、明治21年(1888)に旭橋西詰に4000坪の大庭園を有する政財界の名士社交場「旭館」が開館。鳥井駒吉(1854~1909 堺の酒造家)が会議として使い、翌年、大阪麦酒会社(現・アサヒビール株式会社)を創業。この旭館が「アサヒビール」の由来という説があります。またビール発売当初の「波に朝日」ラベルは、「浪花百景」などを手がけた堺の浮世絵師・中井芳瀧(1841~1899)が描きました。旭館は昭和6年(1931)の国道26号開設時に閉館。堺市役所前の大蘇鉄は旭館から移転したものといわれています。

⑬堺事件発生の地
慶応4年(1868)、大坂入りしたフランス領事を迎えるべくフランス海軍のコルベット艦デュプレクスの水兵が堺に上陸したところ、警備中の土佐藩軍艦府は「通達がない」と上陸を阻止。言葉が通じない混乱の中、フランス兵が藩旗を倒そうとしたため、土佐藩側が発砲。水兵11名を殺傷、溺死させました(堺事件)。フランス公使レオン・ロッシュは猛烈に抗議して関係者20名の切腹、15万ドルの賠償金を要求。国力差から明治政府は全ての要求を受諾。当初、関係者は29名いたので土佐稲荷神社(大阪市西区)で籤を引いて切腹者を選抜。妙国寺(材木町東4丁)で刑が執行されますが、切腹のあまりの凄惨さに軍艦長デュプティ=トゥアールは11人目で中止を要請、結果として9人が助命されました。自刃した藩士は宝珠院(宿屋町東3丁)に葬られ、国指定史跡「土佐十一烈士墓」となっています(同院には後にフランス兵の慰霊碑も建立)。森鴎外「堺事件」、大岡昇平「堺港攘夷始末」、司馬遼太郎「新装版 俄 -浪華遊侠伝-」などの小説の題材にもなっています。

⑭パンゲア
元々、工場だった建物を改造してカフェに。海が見えるテラスが人気で、堺旧港・龍女神像の彼方に沈んでいく夕陽を眺めながら、美味しいお食事、お酒が楽しめます。NPO法人SEINの運営で堺市民の活発なコミュニティ活動の情報なども。堺探検クラブのマップも入手できます! ※営業時間:平日15:00~23:00 土曜12:00~23:00 日曜12:00~22:00(月曜日定休)TEL:072-222-0024

⑮与謝野晶子像
与謝野晶子(1878~1942)生誕120年記念、堺陵東ライオンズクラブ結成25周年記念アクティビティとして設置されました。「ふるさとの 潮の遠音の わが胸に ひびくをおぼゆ 初夏の雲」(歌集「舞姫」より)の歌が刻まれています。


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