海に向う都市

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大阪・せんなん里海公園にて。
http://www.osaka-park.or.jp/rinkai/sennan/main.html

京都(平安京)は中国の風水思想に則って、南北(朱雀大路)を中心軸とした都市として作られましたが、大坂城を作った太閤・秀吉は東西を中心軸にして都市整備を行いました。つまり秀吉は南北の道路(筋)よりも、東西の道路(通)のほうを大きい道幅にしました。大阪のメインストリートは南北ではなくて東西の道路だったわけです。

なぜそんな都市構造にしたのか?というと、大坂城を西に向かうと、大阪湾(海)にでます。秀吉は朝鮮半島や中国大陸といった海の彼方に対する領土的野心が強い人でしたが、その拠点として大坂を整備したので、こういう都市構造になったわけです。つまり大坂は「海にむかって作られた都市」というわけです。

都市の性格はハードウェア(都市整備)によって形作られます。豊臣政権がなくなったあとも大坂城(都市基盤)はそのまま徳川幕府に継承されたので、大坂は海上交通の要所、水の都として発展。日本の流通経済の中心地、「天下の台所」として長く繁栄したことはよく知られています。

大阪の特徴として海との関係性は切っても切れません。戦後の工業都市化や埋め立てによって、市中から沿岸部は遠くなりましたが、それでも大阪の未来は西(海)にあると確信しています。


2008年 4月 6日
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