東京の地図を見ると頭を抱えます。やたらと交通の便がややこい。

(例)東京メトロの路線図
http://www.tokyometro.jp/rosen/rosenzu/pdf/network1.pdf

江戸の都市構造の特徴として螺旋形になった江戸城の堀川(暗渠化したり高速道路になったりしてますが)があります。渦を巻いて本丸(現在は皇居)に向かっている。簡単にいうと都市が「の」とか「@」みたいな形をしています。家康が江戸城を作ったときは、まだ太閤・秀吉が存命中で、疑り深くて、警戒心の強かった家康は、中心部に進入しにくい都市を造りました。螺旋状にして、攻めにくい「軍事要塞都市」を作り上げたんですが、現在の東京もその都市計画の名残というか、延長線上にあるようで、初めて見る人には、非常に複雑怪奇な交通網です。

対して大阪の地下鉄の路線図を見てください。
http://www.kotsu.city.osaka.jp/eigyou/route-map/subway_rosenzu.html

大阪は基本的に「碁盤目」で判りやすいんですわ。平安京(京都)の造りと似てますが、決定的に違うのが京都は南北を中心軸に作られた都市に対して、大阪は東西を中心軸として作られた都市であることです。大阪の東西とはつまり「海」(大阪湾)です。

現代に繋がる大阪の都市整備を行ったのは秀吉ですが、秀吉は天下統一後、海の彼方(大陸)への進出の野心を隠しませんでした。それで海に向かって、まっすぐストレートに、エネルギーを放射する都市を作り上げた。江戸時代の大坂が天下の台所として発展するのも「海運」の力が非常に大きいですし、大阪の中枢の「船場」は、文字通り「船着場」であったわけで、江戸時代の大阪人は、ある意味で、みんな「ミニ秀吉」でした。

ただ近代以降の大阪は東西軸をむりやり南北軸に転換しました。幅44メートルという超巨大な御堂筋を作った。いまでは大阪キタ(梅田)と大阪ミナミ(難波)といいますが、これは大阪の都市構造が東西軸から南北軸に変わったことの象徴です。この御堂筋を作ったのが東京出身の関一市長なんですが、ぼくは長い目で見れば、この都市計画には功罪あると思っています。近代都市として「大大阪」と呼ばれるほどの繁栄を迎えましたが、江戸時代の大坂人の「海への意識」(東西感覚)を御堂筋は遮断してしまいましたから。

現代大阪は古代の難波宮から続いていた都市の有り様とは異なる不自然な都市構造で、今後の大阪発展には「海」「東西」を意識した都市計画が非常に大切だと思っています。そういう意味では「水都大阪」って大切なことなんですが、一朝一夕で成立するものではないでしょう。なんせ御堂筋が出来てから80年間も大阪は誤謬し続けましたから。元に戻すには80年はかかるんやないでしょうか?

東京に話を戻すと、なにより面白かったのが、「地下」なんだから、どういう風に路線を通してもいいのに、地下鉄も地上と同じようなつくりになるんですな。なんでわかりやすい碁盤上の路線にならないのか?地下鉄なのに、わかりにくい螺旋状の軍事要塞都市の構造を維持してます。もしかすると東京の人は、いまだに「ミニ家康」なのかも知れません。


2008年 7月 17日
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