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地方議員の存在意義と、地方都市の再生

2009 年 1 月 10 日

アメリカもイギリスもフランスもドイツも、地方の市議員はほぼボランティアだそうです。報酬なんてごくわずか。議員といえども他に仕事をもっているのが常識とか。また大抵、市議会は夜に開かれるそうで、サラリーマンでも参加が可能なシステムになっています。

要するにサラリーマンとか、主婦とか、酒屋のおっさんが、ボランティアとして市議会をやるわけです。名誉職のようなものですな。そして、自分の職業と関連するような議会には出られないようになってる。酒屋のおっさんは酒関連の条例を決める議会などには参加できない。つまり、自分たちの業種に都合がいいような、利権行為が、基本的にはできないようになってるわけです。

ボランティアでも議員をやろう!というぐらいの人たちですから、当然、都市、まちのことを真剣に考えてます。「普通にまちで生活してる、働いている一般市民」が議会に参加してこそ「市議会」だというわけですな。ぼくもこの考え方に基本的には賛成です。年間何千万円もの議員報酬をもらって、それだけで生活しているとなると、これは市民ではなくて、一種の政治屋ですから。市民不在の市議会。それでいいのだろうか?という疑問。

いま地方都市はお金がありません。どこも大赤字でデフォルト寸前。そのうち必要に駆られて、自然と、地方行政は変わっていくでしょう。議員のあり方、議会のあり方も変容せざるを得ない。その議論を経て、やがて、市民の、市民による、市民のための、市議会、市行政が、実現されんことを。

そうやって「ほんまもんの市議会」が成立した地方都市から、再生していくと思います。


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