大阪の教科書

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大阪検定に限らず、京都検定でも奈良検定でも江戸検定でも、「ご当地検定」には色々と懸念に思うところがあります。何よりも僕が危惧を覚えるのが検定によって、まちを「公式化」「定型化」してしまうことです。

元来「まち」というのは、いろんな物語を包括しているものです。伝説や伝承、民衆信仰、異説や異論、ドラマ、怪談、妖怪譚、都市伝説、ミステリーを持っている。大阪なんかはその宝庫ですわ。日本でいっちゃん、わけわからんもんが多い都市です(笑)それが大阪のまちの面白さ、醍醐味なんですが、ご当地検定は資料主義ですので、そういう眉唾なものは基本的に排除されてしまいます。これは一歩間違えれば、まちの文化の封殺につながりかねない可能性を秘めています。

「大阪あそ歩」では「あなたのまちを語ってください」とガイドさんにはお願いしています。そうすると、都島は「妖怪(ぬえ)が眠るまち」になり、今里は「神武天皇が通ったまち」になり、寺田町は「西国巡礼のまち」になりました。http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/07_01.html
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/08_01.html
http://www.osaka-asobo.jp/machiaruki/15_01.html

こんな奇妙奇天烈な物語は大阪検定には出てこないでしょう。なんの資料もないですから。まちの人が想像を逞しくして勝手にいってるだけ。しかし、この意味不明な、わけのわからん大阪のまちの物語を、そのまま許容して、共有して楽しもうやないか、というのが大阪あそ歩の精神です。異説も異論も曖昧模糊も有耶無耶も、そこには、まちの人の「想い」が込められているのだから否定できません。

学者・先生・専門家が監修する大阪検定と、市民が語る大阪あそ歩は180度ちがうベクトルにあります。俯瞰的、客観的に考えると、大阪のまちの公式化=大阪検定と、そのカウンターカルチャーとなる大阪あそ歩が同時期に始まったのは、まちへの視点を多面的、多角的にして中和剤になって良いのかな?という気もしてますが。要はバランスの問題です。大阪検定を受けた方は、是非とも大阪あそ歩にも参加してください(笑)

公式と非公式。正と反。モノフォニー(単旋律音楽)とポリフォニー(複旋律音楽)。大阪検定と大阪あそ歩は、もしかしたら、そういう位置づけにあるのかも知れません。


2009年 4月 10日
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