大阪あそ歩’09秋 まち歩き全68コース・ラインアップ

大阪あそ歩’09秋」まち歩き全68コースを、改めてラインアップしてみたらえらいことになりました。偉業というか、異様というべきか(笑) 大阪のまちの「多様性」には驚くばかりです。

※まち歩きツアーへの参加ご予約は、各リンク先の予約ボタンをクリック。
または大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会までお電話ください。
06-6282-5930(受付時間 平日9:00~17:30)

01【佃・大和田】
万葉集に詠まれた浜清い難波の海~紀貫之も訪れ、佃漁民ゆかりの地となった~

淀川の下流部にあたるこの辺りは、難波八十嶋(やそしま)と言われたほど多くの島々がありました。古くは田蓑島と呼ばれた佃島には難波の海で魚を獲る多くの漁民が生活をはじめました。神崎川を挟んだ対岸の大和田は「浜清く」と万葉集に詠われた難波の浜が広がっていました。

02【十三】
淀川+下町×ものづくり=十三!~知られざる職人のまち・十三をめぐる~

淀川区の十三といえば、キタやミナミと並び称される歓楽街…だけではありません!いつもの横丁を曲がってみれば、こんなところに熟練・凄腕の職人さんが! 夜の帳に薄ぼんやりの赤提灯ではなく、きらりと光る名人芸で、あなたを酔わせます。

03【北野・十三大橋】
淀川改修100年まち歩き~13番目の渡しに架かった十三大橋を歩いて~

かつて十三界隈には、中津川という川が流れていました。しかし明治18年(1885)の淀川大洪水によって大阪市域が大被害を被ると、中津川に沿って新淀川を付け替える計画が持ち上がり、治水翁・大橋房太郎などの尽力により、明治42年(1909)に、ついに毛馬の閘門が完成して、その大改修工事が完成しました。今年2009年は淀川改修100年。十三大橋を歩いて、新淀川の巨大さ、先人達の偉大な功績に触れてみましょう。

04【豊里・江口】
大隅島の醍醐味を味わう~乳牛牧から江口の君まで~

大隅島は3世紀末に応神天皇が置いた大隅宮の伝承地です。また、6世紀前半には安閑天皇が大隅島に牛を放つよう指示したことが『日本書紀』に記されていることから、古代より牛牧に適した土地であったと推測されます。後に宮内省に属する乳牛牧が置かれ、ここから乳製品が朝貢されました。平安時代に王朝貴族の来訪によって栄えた江口に至るまで、大隅島の「醍醐味」を味わっていただくまち歩きです。

05【西淡路・東中島】
ものいわじ世がために身を捧げた人々~中島にまつわる悲話の数々~

長柄人柱となった巌氏(いわうじ)、百姓普請による大水道工事である中島大水道など、世のため人のために自らが犠牲となった人々にスポットを当てました。崇禅寺に至るまで、涙流さずにはいられない、大阪の先人たちの偉業に触れるまち歩きです。

06【伝法】
下り酒を積んだ樽廻船~鴻池ゆかりの地・伝法を歩く~

中世末期に河港として開かれ、江戸時代に樽廻船や菱垣廻船が出港したまち・伝法。安治川が開削されるまで大坂の水運の玄関口として栄えたことを今に伝えるスポットを巡るまち歩きです。

07【福島】
おしてるや咲くやこの花 浦江・大仁~王仁博士も文人墨客も眺めた花と夕陽~

淀川流域になって、多くの島々が浮かび、砂洲が広がっていた浦江。杜若が咲き誇り、夕陽に照らされながら、美しい鷺が飛来して、了徳院や妙壽寺には数多くの文人墨客が訪れました。その浦江から、わが国に漢字と儒教を伝えたという王仁博士の墓の伝承地があったという王仁までを巡ります。

08【野田・福島】
野田・福島に残る天神縁起絵巻~かつて飢餓島と呼ばれた島~

戦国武将や民衆に愛された野田藤。鎌倉時代より現在まで連綿と続く藤絵巻を訪ね、町の原風景に思いを巡らせます。

09【中崎町】
無国籍シティ・中崎町散策~古民家と雑居ビルと裏路地と~

古民家のベトナム料理屋、路地裏のフランス雑貨店、マニアも唸る木箱のクラフト工房、若者が集う地下室カフェ……そんなフレーズが漂う玉石混交の無国籍シティ・中崎町。時間と空間が止まったような昭和レトロのまちを散策してみましょう。

10【老松町】
古美術のまち・老松町めぐり~国宝級の逸品からモダンアートまで~

古美術からモダンアートまで、ずらりと並んだギャラリーが圧巻の日本で唯一の美術商のまち・老松町。博物館で見たあの美術品に値札がつくと…。いつでもひやかしOK! 一軒一軒のお店がやさしくあなたを大歓迎してくれます。

11【天神橋】
東風が吹き、梅の花が匂うまち・天神橋~時代を超える天神信仰~

日本三大祭・天神祭と学問の神様で広く知られる大阪天満宮。天神橋筋商店街は、その参道として栄えた商店街で「日本一長い商店街」(南北に約2.6キロ)とも呼ばれています。近年は上方落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」も完成して、ますます活気づいていますが、菅公信仰の聖地として、1000年以上の歴史を誇る天満宮のまちを訪ね歩いてみましょう。

12【茶屋町・中津】
蕪村が流浪った菜の花道~月は東に日は西に~

江戸時代には能勢街道の要所として、数多くの旅人が行き来して、鶴乃茶屋や萩乃茶屋といった名物茶屋が並んで賑わったという茶屋町界隈。菜の花畑が一面に広がり、それは大坂・毛馬生まれの漂泊詩人・与謝蕪村の心の故郷、原風景でもありました。大都会の梅田の中心部にありながらも、よく眺めれば、旧街道の名残がちらほら見えてくる。そんな茶屋町界隈を歩きます。

13【都島】
妖怪〈ぬえ〉が眠るまち・都島~鬼退治の勇将・渡辺綱伝説から鵺塚まで~

大江山の酒呑童子退治や、羅生門の鬼の腕を切り落とした勇将・渡辺綱が愛馬を繋いだ「駒つなぎの楠」に、近衛天皇を苦しめていた鵺(ぬえ)の遺骸が流れ着いたという摩訶不思議な伝承を持つ「鵺塚(ぬえづか)」などを巡ります。いざ、摩訶不思議な都島妖怪譚の世界へ!

14【網島】
悪所くるひの身の果ては、南無網島の大長寺~「心中天の網島」の舞台を歩く~

大阪が育んだ「日本のシェイクスピア」こと近松門左衛門。その最高傑作「心中天の網島」の主人公・天満の紙屋治兵衛と曾根崎「紀伊国屋」の遊女・小春が、享保5年10月14日(1720年11月13日)未明に心中事件を起こしたのが、網島の大長寺の境内でした。現在は藤田邸跡公園となっていますが、2人の道行のあとを辿りながら、その深淵な作品世界に迫ります。

15【関目千林】
旭区の歴史街道・関目から千林まで~参勤交代のみち・京街道を往く~

旭区は、古くより京都と大阪を結ぶ交通の要所として栄えました。江戸時代には三十石船が淀川を上下し、陸路は京街道として参勤交代の大名行列などで賑わったといいます。その京街道沿いの史跡や、日本初のスーパーマーケット「主婦の店・ダイエー薬局」発祥の千林商店街の賑わいを楽しみます。

16【千林】
一、十、百、千、千林を歩く~京街道、野崎街道、主婦の商店街~

全国でも有数の活気ある最寄品商店街が集まっている千林。その名は「大阪のおばちゃん」の愛称とともに全国にとどろいています。その中心になるのが千林商店街。かつてはスーパーのダイエーやニチイ、個人商店が激しい価格競争をくりひろげ「日本一安い商店街」と言われたことも。しかし、このあたりはその昔、静かな農村地帯だったのです。

17【築港】
アートな港町・築港散歩~赤レンガ倉庫から日本一低い山・天保山登頂~

日本一低い山・天保山の山頂に登って、築港の歴史に触れてから、個性が光るアートスポットから、港風情が漂う赤煉瓦倉庫や近代建築を巡ります。まちを歩いていると、時折、遠くの方から聞こえてくる船の汽笛にも、そっと耳をすませてください。

18【朝潮橋】
新田開発に始まり前代未聞の地盤改良に成功したまち
~驚きの2メートル盛り土プロジェクトと造形の新しい息吹~

元禄時代以降、大阪湾の流れる幾筋もの河川の川口でさかんに新田開発が行われました。港区ではほとんどが町人の請負いによる開発で、開発者の名前が今も地名に残っています。そして近代の築港開発による土地づくり。問題は地盤沈下でしたが、港区では世界的に類のない方法でそれを克服し、現代的な港湾都市を出現させました。

19【九条】
川口歴史散歩と九条下町ツアー~大阪文明開化発祥の地めぐり~

近代大阪の文明開化の象徴が、1868年、大阪開港と同時に設けられた外国人居留地の川口。その栄枯盛衰の歴史を振り返ります。とくに1920年再建の川口キリスト教会(日本聖公会川口基督教会聖堂・大阪府指定有形文化財)は必見! 当時の面影を今に伝えています。

20【西九条】
九条下町おもしろウォーク~西九条から大阪ドームまで~

顔の大阪人に会える下町散策コース。世界でも珍しい安治川河底トンネル、SL蒸気機関車館、粟おこし、たこ焼き、ブタまん、お好み焼きなどを試食、人情豊かな下町市場から大阪ドームへ!

21【新町】
天下一の花街・大坂新町を歩く~夕霧太夫の面影を求めて~

徳川幕府によってわが国で最初に公認された遊郭のまち・新町。17世紀初めの大坂城再建時から1956年の国法による禁止がなされるまで350年にわたって、天下一の花街としてその名を轟かせました。いま、その名残りは全くありませんが、どこかしなやかな風情が感じられるのは、まちの記憶のせいでしょうか。

22【北堀江】
日本一の海運王へ…岩崎弥太郎、起つ!~三菱発祥の地をたずねて~

土佐藩ゆかりの地名が数多く残る北堀江。土佐藩山内家の大阪蔵屋敷時代から三菱グループ創業まで、その栄華を辿ります。

23【江戸堀】
江戸堀発!時代を駆け抜けた先賢者たち~頼山陽、中天游から宮武外骨まで~

江戸時代の江戸堀界隈は、当代一流の知識人・学者の宝庫でした。幕末の志士たちが読みふけった「日本外史」の作者・頼山陽が生まれ、蘭学者・中天游の私塾・思々斎塾が開かれ、そこには緒方洪庵が学びに訪れました。また洪庵の弟子で、日本近代陸軍の父・大村益次郎が寓居して、明治以降には反骨のジャーナリスト・宮武外骨が「滑稽新聞」を発刊したのも江戸堀です。時代の最先端を駆け抜けたまち・江戸堀を歩いてみましょう。

24【北船場1】
熱き淀屋スピリッツが生んだ文明開化~大阪倶楽部、懐徳堂から適塾まで~

途方もない財力を恐れた幕府から闕所(けっしょ・財産没収)を命じられた豪商・淀屋。しかし淀屋の子孫は行き続け、幕末には全財産を朝廷に献上して倒幕を果たしました。淀屋の生きざまには船場商人に伝播して、それが維新革命の源流となります。時代を変えた、熱き淀屋スピリッツに触れてください。

25【北船場2】
粋なる哉、船場文化ここにあり!~証券街・北浜と日本最大の薬問屋・道修町~

東京・兜町とならぶ二大証券街の北浜と、日本の医薬業の聖地・道修町を散策します。東京サミットの晩餐を3度も務めた本吉兆、大阪会議の舞台となった花外楼など、船場が誇る二大料亭も巡ります。

26【三休橋筋】
船場のレッドカーペット・三休橋筋~変わりゆくプロムナードのいまを歩く~

御堂筋と堺筋のちょうど真ん中を南北に通る三休橋筋は、船場の特別な道、いわば船場の「レッドカーペット」なのです。周辺の近代建築や特徴的なまちの連なりで、大阪の歴史の断面を感じることができます。また適度な道幅と緑豊かな街路樹が心地よい空間を生み出しています。プロムナード整備によってより魅力的な道に生まれ変わろうとしている三休橋筋を歩いてください!

27【中船場】
御堂さんを偲んで、南へ歩く~大坂は本願寺から始まった~

大阪の大動脈・御堂筋。その出発は、津村別院と難波別院を結ぶ、細い細い参詣筋でした。この二大御堂のほかに、船場の守護神・御霊神社や、中世に活躍した武家・渡辺党の氏神の坐摩神社、ユネスコの世界無形文化遺産「文楽」ゆかりの難波神社などを巡ります。

28【東横堀】
東横堀見聞録~天下の貨の七分は浪華にあり!~

天正13年(1583)に豊臣秀吉の命令で大坂城の外堀として開削された、大阪市内で最も古い堀川・東横堀川。東側の上町から東横堀川に架かった高麗橋を越えると船場に入り、そこは「天下の貨、七分は浪華にあり」と詠われたほど、煌びやかで華やかな商家文化が息づいていました。戦後の高度経済成長時代に川の上に高速道路が通されて往年の景観は損なわれましたが、近年は地元住民や東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会)などの活動によって、数々の水辺再生の取り組みが為されています。いま時代の最先端を進む「最も新しい堀川・東横堀川」。その魅力に迫るまち歩きです。

29【森ノ宮・大阪城】
大阪6000年!悠久の大地を知る~大阪城にまつわる秘話を辿りながら~

上町台地の北端に位置するこの地域は、大阪市の中でも、いちばん古くから生活が始まった場所です。そのため、歴史にまつわる話が満載です。古代~聖徳太子~秀吉に至る時代の流れを感じるコースです。

30【日本橋】
世界遺産の文楽と日本一の黒門市場~大阪のほんまもんの芸と食を巡る~

大阪が世界に誇る伝統芸能・文楽。その殿堂の国立文楽劇場から、大阪ミナミ唯一のお茶屋さんや、摂津名所図会にも描かれている二つ井戸跡などを巡ります。最後は日本一(日本橋一丁目。もちろん味も日本一!)の黒門市場で買い物を楽しみましょう。

31【日本橋・道頓堀】
道頓堀繁盛記~道頓堀五座からくいだおれ、戎橋まで~

太閤・豊臣秀吉の命令で安井道頓(成安道頓)、安井道卜らが開削した道頓堀(1615年完成)は、寛永3年(1626)、芝居および遊所の設置が許可されて以降、大坂を代表する繁華街として発展してきました。中座、角座、竹本座、浪花座、弁天座、朝日座といった櫓(芝居小屋)では、坂田藤十郎の和事の歌舞伎や、近松門左衛門の心中物の人形浄瑠璃、世にも珍妙なからくり芝居などが演じられ、芝居の見物客が利用した芝居茶屋や飲食店からは「くいだおれ」の食文化も生まれました。数知れないエンターテイメントを産み出してきた、「なにわのブロードウェイ・道頓堀」を歩いてみましょう。

32【千日前】
上方演芸隆盛の地・千日前ぶらぶら~松竹・吉本を育んだ大興行街の今昔~

江戸時代の千日前は法善寺や竹林寺の「千日参り」や、千日墓などで知られた集落でしたが、明治維新以降の文明開化によって都市の娯楽が変容して映画の興隆が起こると、大阪で最も映画館・劇場が集積したまちとなりました。昭和に入ると松竹の白井松次郎が大阪歌舞伎座、大阪劇場を開場、吉本興業がなんば花月を開場し、日本を代表する大興行街として発展しました。映画興行発祥の記念碑からワッハ上方まで。上方演芸の歴史とともに大衆娯楽の街・千日前を辿っていきましょう。

33【鴫野・放出】
消えた河内湖を追え!~失われた八剣伝説を求めて~

「海」、「湖」、「湿原」と形を変えてきた鴫野。古代から近代まで、「水」とともに刻まれた歴史を訪ねて歩きます。

34【鶴見・放出】
摂津・河内国境の街道をゆく~水路の歴史を織り交ぜながら~

摂津国と河内国の国境となっていた街道を下りながら、寝屋川や、今では道路となってしまった井路の歴史を辿りつつ、放出(はなてん)地名由来の伝承が残る、式内社・阿遅速雄神社までを歩きます。

35【小林】
大阪湾に浮かぶ水の島・大正区~沖縄心に風が吹くまち~

区民のおよそ4分の1が沖縄県出身者というリトル沖縄・大正区。路地を歩けば門構えに魔除けのシーサーが設置されていたり、庭にゴーヤーが植えてあったり、三線(サンシン)の音が聞こえてきたり、と南国情緒に満ち溢れたまちを歩きます。大阪に息づいている沖縄文化を堪能してください。

36【平尾・恩加島】
木津川に飛行機が発着し自動車が円を描く
~高度36メートルのめがね橋を徒歩で、渡船で、バスで~

江戸時代、木津川は白砂青松の地であり、また諸国の廻船で賑わった大阪の港になりました。その水運の利を活かして、やがて工場が立ち並び、そして日本で最初の公共飛行場が生まれました。日本で最初の自動車工場もありました。そして、いま木津川に架かるめがね橋を、ひとが渡り、車が走ります。

37【北村】
大阪は港町だ!~大正内港を歩くとあの港の光景が~

大阪港のなかにあるもうひとつの港、それが大正内港。多くの小型船が停泊し、桟橋からは大阪港の入口に架かる橋が望めます。大阪は港町だった、そんな実感がするまちをぐるりと歩きます。

38【新世界】
なつかしの大阪芸人発祥の地~てんのじ村から新世界へ~

大正から昭和にかけて娯楽の聖地としてにぎわった新世界。付近の「てんのじ村」には、日本全国各地から芸人たちが集住して、昭和20~30年代の最盛期には300人以上もの芸人が暮らしていました。なつかしの大阪芸人たちの想い出に浸る、こんなまちあるきはいかが?

39【難波元町・大国町】
浪速の義侠・木津の勘助、奔る!~巨大獅子殿から名勝の枯山水まで~

木津勘助(本名・中村勘助)は、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者で、木津川を開削して勘助島(現・浪速区大国町)を開発しました。幕府からも非常に重用されましたが、寛永16年(1639)に大坂が冷害で大飢饉となったさいは、私財を投げうって村人に分け与え、それでも足らないということで、命がけで大坂城の備蓄米の「お蔵破り」を決行して、飢饉に苦しむ人々を救済しました。「浪速の義侠」と呼ばれて、大坂庶民の英雄となった勘助ですが、その勘助の銅像がある大国主神社や、墓所の唯専寺など、勘助のゆかりの地を訪ね歩きます。

40【夕陽ケ丘】
夕陽燦燦の坂のまちを歩く~西方浄土の聖地・夕陽丘~

武士の世を儚んで隠遁した歌人・藤原家隆の塚、大坂夏の陣で獅子奮迅の活躍をするも志半ばで討たれた真田幸村の戦没地、旅に病んで倒れた俳聖・松尾芭蕉の絶唱地・浮瀬など、数々のドラマを生んだ西方浄土の聖地・夕陽丘を歩きます。燦燦と輝く、真っ赤な夕陽に照らされながら。

41【天王寺1】
現代にも生き続ける太子信仰~愛染さんから四天王寺へ~

四天王寺施薬院跡の愛染さんから、現存する最古の企業・金剛組、能楽「弱法師に」登場する石の鳥居、聖霊会舞楽大法要が行なわれる石舞台まで、1400年以上の歴史を誇る日本最初の官寺・四天王寺界隈を巡ります。現代にも行き続ける大使信仰の息吹を感じ取ってください。

42【天王寺2】
偉大なる大陸文化の伝承地・四天王寺~ベルリンの壁から大阪関帝廟まで~

かつては上町台地の西側まで海(大阪湾)が迫り、そこは難波津と呼ばれる国際港でした。四天王寺は、大陸文化に影響されて、西暦593年に聖徳太子が建立した「日本仏法最初の大寺」ですが、四天王寺界隈には、こうした大陸文化の影響を受けた名所・旧跡がいくつも残されています。統国寺のベルリンの壁から、大阪関帝廟まで。国際港・難波津の歴史と文化を辿っていきます。

43【寺町】
類なき御傾城・夕霧太夫が眠る上町台地~この塚は柳なくとも哀れなり~

大阪の聖地・上町台地。約200もの寺社仏閣が集積する、我が国でも有数の一大宗教スポットで、いくつものドラマ、物語が秘められたエリアですが、このまち歩きは、井原西鶴の「好色一代男」において「神代このかた、また類なき御傾城の鏡」とまで絶賛された夕霧太夫を偲ぼうというものです。若くして亡くなった夕霧を惜しんだ句「この塚は柳なくても哀れなり」を詠んだ俳人・上島鬼貫の墓から、西鶴ゆかりの地・生国魂神社などを経て、いまも献花が絶えない、夕霧が眠る浄国寺までを巡ります。美しくも哀しい天下一の太夫の面影を求めて…。

44【今里】
神武天皇も通った東成~シルクロード(暗越奈良街道)と新道ロード~

初代天皇・神武天皇も通ったという神路や今里界隈を歩いてみると、あちこちに由緒ある昔の史跡などが残されているのがわかります。私たちの祖先が残してくれた、記紀神話の時代から続く貴重な遺産の数々を尋ねてみましょう。

45【深江】
古代から続く菅笠の里・深江~こころ深江の菅小笠 天の下にぞ名はみちにける~

暗越奈良街道と放出街道が交差する深江は、古代から栄えて交易やものづくりの舞台となりました。とくに深江村の氏神で、鋳物御祖神社の別名もある深江稲荷神社は「深江菅笠ゆかりの地」として知られ、江戸時代には街道の名物として摂津名所図会などにも記載されました。いま現在でも伊勢神宮の式年遷宮や天皇即位後の大嘗祭には、深江の菅笠が調進されています。古き良き歴史街道の趣きが色濃く残る、「心深江の菅小笠のまち」を歩いてみましょう。

46【鶴橋】
おどろきの鶴橋今昔ばなし~経営の神様・松下幸之助起業の地をたずねて~

古代朝鮮半島との交流を伝える比売許曽神社から、経営の神様・松下幸之助が起業した「世界のパナソニック」発祥の地、上方落語の縁まで。路地裏を曲がれば、一体、なにが飛び出すのかわからない、バラエティ豊かな鶴橋ワールドを 巡ります。ディープ大阪の下町文化ここにあり!

47【天下茶屋】
利休と秀吉が愛した天下茶屋~達人たちの世界をたずねて~

天下茶屋は秀吉ゆかりの地として、歴史的にも有名なまちですが、意外と知られていないのが、人情が息づくまちだと、いうことです。あられ一筋40数年の方から、今もなお、手作り映画看板にこだわり続ける達人など、その道の達人たちの語りも魅力のコースです。

48【鶴見橋】
大阪三橋・鶴見橋ディープツアー~天神橋・心斎橋と並び称された商店街~


49【阿倍野】
陰陽師 安倍晴明のふるさと・阿倍野を往く~上町台地のロマンを求めて~

大阪市内を縦断する上町台地の西の崖や、弥生時代の集落が残る阿倍野筋遺跡など、太古の昔から続く阿倍野の歴史に触れるまち歩き。中世には聖地巡礼・熊野街道の舞台となって、ここから天才陰陽師・安倍晴明が生まれました。安倍晴明神社では、いまでも晴明を慕う若い女性の参拝がたえません。

50【北畠】
「風林火山」の花将軍、見参!~北畠顕家ゆかりの地をたずねて~

日本に2つの王朝が存在して、それぞれが正当性を主張して戦乱に明け暮れた南北朝時代。かつてない未曾有の混迷の時代に、ひとりの若武者が大阪・阿倍野の原野を駆けめぐりました。准大臣・北畠親房の長男にして従二位・権中納言の北畠顕家その人です。眉目秀麗の公家でありながら、「風林火山」の旗印を用いて戦場に赴き、その勇猛果敢な武者ぶりに、敵方からも「花将軍」とまで讃えられました。その短くも美しい生きざまに迫ります。

51【生野】
異文化のまち・コリアタウン~日本最古の橋から猪飼野、御幸通まで~

日本で最大の在日コリアンのまち・生野コリアタウン。その原点ははるか1500年前、日本書記にも登場する古代人のまち「猪飼野」でした。猪飼野の痕跡を求めて、桃谷から御幸通、そして鶴橋国際マーケットを訪ねます。

52【寺田町】
ありがたや西国巡礼ができるまち~寺田町から舎利尊勝寺へ~

四天王寺領の寺田(じでん)があった寺田町から、聖徳太子から与えられた仏舎利を奉ったとされる舎利寺まで、太子ゆかりのまちを歩きます。随所に仏教説話が残り、住民に愛され、ともに歩んできたまちは、ノスタルジックな下町風情に満ちあふれています。

53【百済】
生野に残る古代朝鮮の残照~百済駅跡から今はなき百済商店街をたずねて~

今はほとんど残っていない「百済」という地名を探します。また、過去から現在まで続く街道沿いの歴史を訪ねます。

54 【加賀屋】
大坂を作った男たち・加賀屋四代の開拓魂~高砂神社から新田会所跡まで~

かつて紀州街道の西側は海でした。しかし宝永元年(1704年)に新大和川が付け替えられたことで土地の開拓が進み、両替商の豪商・加賀屋甚兵衛も当地の新田開発に力をそそぎました。こうした民間資本による開拓の総面積は、今日の大阪市域のほぼ1/3にあたると言われています。開拓のために作られた新田会所跡は豪商・加賀屋の粋人ぶりが伺える、貴重な歴史的文化遺産で、都市の憩いの場となっています。

55【安立】
岸の辺の道・安立を越えて~いにしえの港・すみのえの津から大和川まで~

古代、万葉集では「白砂青松の名勝地」と詠われ、室町時代には「岸の辺の道」ともいわれ、江戸時代は「紀州街道」と呼ばれた、歴史を偲ばせる町「あんりゅう」。住吉公園から、一寸法師ゆかりの地・安立商店街、世界の音楽奏者に愛されている木製リコーダーのメーカー「竹山木管楽器製作所」などを経て、大和川まで巡ります。

56【住吉1】
祈りのまち・住吉を歩く~1800年の歴史を刻む住吉津のものがたり~

遣隋使、遣唐使が出立の際に必ず立ち寄った古代難波津の守護神・住吉大社。1800年もの歴史を有して、いまも民衆の祈りが色濃く残る住吉大社とその周辺を巡ります。めずらしや、六道の辻「閻魔地蔵」は必体験!

57【住吉2】
知られざる幻の首都・住吉行宮~もうひとつの王朝・南朝の足跡を探して~

南朝の後村上天皇の御座所(皇宮)で、長慶天皇も即位した住吉行宮や、北朝最後の天皇・後小松天皇の落胤と噂される一休宗純禅師の牀菜庵跡などをめぐります。住吉のまちに眠る、王朝絵巻の夢のあと。

58【帝塚山】
レトロモダンのまち・帝塚山を往く~古墳と洋館めぐりとスイーツと~

「東の田園調布 西の帝塚山」とまで称された郊外都市・帝塚山。大阪市内三大古墳の1つ、帝塚山古墳や万代池などを巡りながら、日本建築のお屋敷と瀟洒な邸宅の町並みが同居するレトロモダンのまちを歩いてみましょう。

59【我孫子】
幻の古代豪族・依網吾彦を訪ねて~止々呂支比売命神社とあびこ観音~

上町台地の南に位置するあびこ界隈は、古くから開けた土地で、古代豪族・依網吾彦の本拠地でした。依網吾彦の一族は百済の聖明王から観音菩薩を送られて、これが欽明天皇7年(546)に創建された吾彦山大聖観音寺(通称・あびこ観音)となります。日本最初の観世音信仰のお寺といわれて、いまでも節分時期には参詣者で大いに賑わいます。このあびこ観音を目指して、謎めいた古代の大阪を訪ねる、そんなまち歩きです。

60【田辺】
街道と歴史が織りなす田辺郷
~模擬原爆投下跡から田辺大根の故郷まで~

庚申街道や下高野街道、難波大道など、数多くの歴史街道が交差して、古代・難波宮の時代から現代まで、さまざまな歴史や文化が織りなされてきた田辺郷。開高健の文学碑から模擬原爆の投下跡地、なにわ伝統野菜の田辺大根ゆかりの地・法楽寺など、バラエティに富んだまち歩きです。

61【矢田】
日本初の大僧正・行基菩薩の聖跡を歩く~中臣須牟地神社から阿麻美許曽神社まで~

日本最古のダム式貯水池「狭山池」を改修したり、大阪を中心に貧民救済のための治水・架橋などの社会事業を指導した行基。国家プロジェクトだった奈良・東大寺の建立に携わり、745年(天平17年)には聖武天皇から日本最初の大僧正の位を贈られました。大和川に架かる行基大橋や「行基菩薩安住之地」の石碑がある阿麻美許曽神社など、行基ゆかりの地を訪ねてみましょう。

62【平野郷】
環濠自治都市・平野郷めぐり~平安から現代へ”連綿”と受け継がれるまち~

大阪府下で最大の木造建築物の大念佛寺(融通念佛宗総本山)や、市内最大のだんじり祭りで有名な杭全神社など、平野郷地区を中心に、環濠都市の面影を辿るまち歩きです。全興寺の「極楽度・地獄度チェック」はお忘れなく!

63【喜連】
喜連環濠コース~街中に開かれた古代・中世への扉を巡る~


64【中之島】
江之子島から堂島、中之島へ~市役所跡を辿ると開国前後の大阪が見える~

かつて大阪市庁舎は江之子島にありました。文明開化の川口居留地を望みながら大阪の近代化は始まり、やがて市庁舎は堂島に移り、「大大阪」の時代を迎えて、現在の中之島へと移ります。今年2009年は大阪市政120周年で、それを記念したまち歩きです。江之子島から堂島、そして中之島へ。大阪120年分の近代史を体感できる、一大叙事まち歩き! 全68コースのまち歩きのラインナップで「日本一のまち歩きのまち」となった「大阪あそ歩’09秋」のオープニングを飾ります!

65【西船場】知られざる西船場の近代建築を訪ねて

66【天満】
大坂の「救民」決起!~大塩平八郎の乱を辿って~

天保の大飢饉で全国の餓死者30万人といわれ、百姓一揆が多発していたころ、米の集まる大坂でも豪商たちはさらに利を求めて米の買い占めに走り、米価は6倍にはねあがりました。飢えに苦しむ人々は市中にあふれ、まちには不穏な空気が充満していました。役人には私腹を肥やす者が何人も現われ、腐敗は幕府の上層部にも及びました。もはや武装蜂起しかない。大坂東町奉行所与力の職を辞して天満の自邸で塾を開いていた大塩平八郎が、幕府への反乱を決意したのです。それは失敗を覚悟した悲壮な蜂起でした。天保8年(1837)のことです。

67【阿倍野】
能楽師と行くなにわめぐり~阿倍野の巻~

昔人の隠棲の場として、数々の物語・伝承に彩られた阿倍野ヶ原。小野小町、安倍晴明、北畠顕家といった歴史上の人物にまつわる旧跡も点在しています。かつてのこの地の風景を思い描きながらのそぞろ歩きは如何でしょうか?

68【住吉】
能楽師と行くなにわめぐり~住吉の巻~

2011年に鎮座1800年を迎える住吉大社。海の神であるとともに、和歌の神としても知られています。そして、謡曲を始めとした多くの文芸に取り上げられた名跡でもありました。秋の一日、能を中心とした”すみよっさん”周辺の文芸を巡ります。


2009年 9月 13日
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