兵庫・大輪田泊 古墳時代の岩椋



兵庫・大輪田泊の岩椋です。兵庫津を開拓した平清盛時代のものか・・・と思いきや、なんと古墳時代のものとか。大輪田泊は天然の良港だったそうで、古代から栄えていたんですな。三韓、大陸、大和朝廷とを結んだ交易では、こうした岩椋で船を結びました。

面白いのが、大和田泊の「泊」(とまり)という言葉で、じつは「泊」というのは自然港のことだそうです。人為で改修した場合は「津」(つ)といいます。こういう「泊」というのは古代の大坂にはありません。難波津も、住吉津も、桑津も、猪飼津も、玉津も、敷津も、磯歯津も、木津も、すべて古代の大坂人や渡来人たちが、自らの力で改修した人工港でした。大阪というまちは、淀川、大和川という二大暴れ川を有してますから、有史以来、ずっと港の開発、改良の繰り返しの歴史でした。悪戦苦闘して港町、水都としての繁栄を築いたわけです。

兵庫、神戸は、そういう意味では非常に恵まれていました。しかし恵まれていたが故に、「港を整備していく」という重要性が、いまいち解らなかったのかも知れません。とくに戦後の関西国際空港の神戸港誘致反対と、その後の急転直下の神戸空港開港と失敗は、その歴史の哀しい証左ではないか?という気もしています。関西経済全体のことを考えると、非常に残念な結果でした。


2010年 3月 10日
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