木村重成と「残念さま」(残念さん)信仰

大阪は「敗北者のまち」です。河内王朝、物部氏、聖徳太子、孝徳天皇、菅原道真、南朝、北畠顕家、大坂本願寺、豊臣家、淀殿、真田幸村、豪商淀屋、大塩平八郎、大村益次郎・・・と、みんな大阪で敗北していってます。幕府崩壊の象徴も鳥羽伏見の戦いの余波による大坂城炎上でした。江戸城は無血開城で無事だったのに、なぜか大坂城は紅蓮の炎に包まれて灰燼と化す。大阪城って歴史のターニングポイントとなるとよく燃えるんですな(笑)

そのせいかどうかはわかりませんが、大阪では敗北者を「残念さま」(残念さん)といって篤く崇拝した時代がありました。要するに怨霊信仰の一種です(大坂はある意味で怨霊の宝庫といって良いです)。とくに江戸時代に、大坂庶民のあいだで流行った「残念さま」は、大坂夏の陣で享年23歳の若さで亡くなった木村重成でした。いまは無名に近い武将ですが、豊臣秀頼の幼馴染です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%87%8D%E6%88%90

木村重成は、河内の若江堤というところで戦死したんですが、その墓参りが爆発的に流行った年が何度もあるんです。その爆発ぶりは大坂庶民が集団発狂したか?というほど凄まじいもので、大坂城の玉造口から若江の約7キロほどの街道に、庶民がびっしりと集まって、昼どころか朝も夜も提灯を持って「残念じゃ!残念じゃ!」と言いながら、木村重成の墓に参ったといいます。

この「重成詣り」が大流行するたびに、幕府は「なにしとんねん!?」と弾圧。守らない人間は逮捕して投獄までしたそうで、大体、3ヶ月ほどで騒ぎは終わったそうですが、忘れたころに、また「残念さま信仰」が巻き起こって、奉行所はそのたびに頭抱えたそうです。木村重成は、幕府に逆らって死んだ武将ですから、そんなのを「残念さま」といって神さまにして参るなんてのは、けしからんどころの話ではないんですな。江戸では到底、ありえない話で、大坂ならではの現象でした。

ちなみに、この「重成参り」が流行る年というのがあって、大体、物価高騰とか不況の年やそうです。要するに大坂庶民の鬱屈のガス抜きだった。幕末、明治の混乱期に東海道や伊勢で流行った「ええじゃないか!」と似てますが「ええじゃないか!」は現状肯定の言葉。「残念じゃ!」というのは現状否定の言葉。ちょっとニュアンスがちがいます。同じような狂乱騒ぎでも、大坂という都市の特性が出てるといえるかも知れません。


2010年 5月 5日
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