日本ではじめての都市 京都(都)×堺(市)=大坂(都市)

京都(平安京)は非常に住みにくいまちでした。平安京は為政者(天皇、摂関貴族)が風水思想に影響されて作ったまちで、決してヒューマンスケールではないんです。たとえば平安京の道幅は、小路で4丈(約12メートル)、大路で8丈(約24メートル)以上もあり、朱雀大路に至っては、なんと28丈(約84メートル)という途方もない道幅でした。閑散とした都市空間で、人の数もまばら。おかげで、西京はあっというまに廃れました。慶滋保胤の『池亭記』(天元5年・982)によれば

余二十年以来東西二京を歴見するに、西之京は人家漸く稀にして、殆ど幽墟に幾し。人は去るあれども来るなく、屋は壊るるあれど造るなし。夫れ此の如きものは天の西京を亡ぼすもの、人の罪にあらざる明也。東京は四条より以北、乾と艮との二方は人々貴賎となく群聚する所也。商家門を比べ堂を連ね、小屋壁を隔て簷を接す

と「殆ど幽墟に幾し」とまで記されています。この京都がヒューマンスケールのまちに変容したのは、応仁の乱で京都がボロボロに崩壊して、その後、天正18年(1590)頃に、秀吉が新道をつけて、半町ごとに貫通させる短冊型の町割区画をしてからです。こうすることで、ようやく京都に町民階級が定住するようになりました。

そもそも都市という言葉には「都」という政治的意義と、「市」という商業的意義が込められてます。天皇なり、大名なり、君主なりが住んでいるだけでは、これは「都市」とはいいません。つまり京都(平安京)はあくまでも「都」ではありましたが「都市」ではなかった。

そういう観点からいえば日本都市史のエポックメイキングは、自治都市・堺です。堺は天皇や大名が治めた「都」ではなく「市」でした。貿易(日明貿易、南蛮貿易)といった商業的意義のみで成立したまち。堺には君主が存在しません。「納屋衆」という町衆の代表が、自分たちの町を作っていったまちです。

京都、堺の次に、ようやく成立したのが大坂です。大坂は天下人の太閤秀吉が建設して「都」としての政治性を含みつつ(当初は天皇、貴族を移住させようという計画もありました)、堺、平野、伏見、安土といった商人たちを無理やり大坂に移住させて、「市」としての機能も持たせたまちでした。

都市の誕生こそが、近代文明の入口であり、第一歩であり、証明です。日本ではじめての都市。それが大坂であるということは、大阪人として、大いに誇りに思って良いとぼくは思ってます。


2010年 9月 19日
タグ:
コメントは終了しています。