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戦後日本式経営の限界~大阪万博の幻想~

2010 年 11 月 18 日

1970年当時の日本の人口は約1億人でした。同年開催の大阪万博の総入場者数は約6400万人。恐るべき数字です。この世紀のイベントのおかげで、「人類の進歩と調和」という「万博幻想」が日本全体を包み込み、日本人は資源もエネルギーも無限にあると錯覚してしまい、「大きいことはいいことだ」「メタボリズム建築」「日本列島改造論」「使い捨て」といった傲慢不遜な一過性社会を増長させました。

本当は1970年は「地球資源は有限である。いままでの工業文明は曲がり角に来ている」ということを訴えるべき段階に来ていたはずなのに、日本はアメリカの大量消費文化に憧れて、まるで正反対のことをしてしまいました。その結果が1980年代の史上空前の「バブル経済」と、1990年代の「バブル崩壊」と、2000年代の「失われた時代」です。

日本が時代遅れの工業社会化を熱心に進めているあいだに、1970年代のアメリカで起こったことが、マイクロソフト(1975)やアップル(1976)の創業で、IT産業の勃興だったことを考えれば、日本は決定的な、致命的なミスを犯したといっても過言ではないでしょう。

じつは松下幸之助は1964年の段階でコンピューターの存在を知っていたんですが、「コンピューター?あんなもんようわからん。あきまへん。ソロバンでよろしい」といってコンピューター事業から全面的に撤退したんです。正直いえば、これが「経営の神様」と崇められている松下幸之助の限界でした。いや、松下幸之助がダメだったというのではなく、おそらく「戦後日本式経営の限界」だったのでしょう。

もう、いい加減、大阪万博の幻想から脱却しないと。それが次の大阪、日本を作る、第一歩だと思ってます。


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