創造的進化、純粋持続する都市を

日本の都市をつまらない、くだらないものにしている要因のひとつが、都市を機能別に、効率よく、ゾーニングしようとする考え方です。それは平面的、二次元的、限定的な思考で、ヘーゲルの目的論的世界観に毒された構成です。人間の精神は、もっと自由奔放、大らか、テキトー、矛盾相克であって、都市にも「創造的進化」が必要なんです。「カオス」「遊び」「アート」「余白」「トマソン」といった要素が都市には不可欠なんですわ。

要するに都市とは、われわれと同じように、生成流転していくものということです。生まれ、成長し、衰え、滅び、また生まれる。完全完璧な都市など、この世にはなく、常に都市は未完成であり、輪廻のように、その有様を変容させていく。固定化しようとしてしまった段階で、その都市は都市ではありません。それは巨大なコンクリートの塊、空虚な墓石に過ぎない。都市に必要なのは、やわらかさ、かろやかさ、しなやかさ。つまり、多様性。

だから、ぼくが考える理想のまち歩きとは、都市を空間的(言い換えると「もの的」)な場として捉えるのではなく、ベリクソンが提唱する時間的(純粋持続)な場として捉えようという試みです。つまり、まち歩きは「探訪」ではなく「逍遥」なんです。そうすることで、そこに「創造的進化」が生まれてくる。

もっと都市に「生の飛躍」を。élan vital!


2011年 1月 17日
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