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国家外交の時代から、都市外交の時代へ

2011 年 4 月 3 日

来月の5月30日から、大阪あそ歩のガイドさんと、釜山の観光協会のガイドさんとで国際交流のまち歩きをやる企画が纏まりました。

国家の外交は、国益を最優先します。国益のためなら戦争だって辞さない。戦争とは、国家外交の手段であり、それは国際法によって「合法行為」として許可されています。国益を声高に、強固に叫び続けると、やがて、必ず、戦争に及ぶ。最後は結局、武力衝突。要するに国家は平和のために外交なんてしないということです。国家は国益のために外交します。それが20世紀の、既存の、これまでの国家外交の限界です。(もちろん平和が国益に適う場合は平和の維持に務めますが、そうでなくなった場合・・・石油権益や領土拡大などが儲かるとなると国家は頗る安易に戦争行為に及びます)

しかし都市は国家と違い、軍隊を持たないコミュニティです。都市外交は、どう転んでも戦争はありません。ぼくは21世紀の国際外交の基調は、都市外交、都市間交流であるべきだと思っています。軍隊という暴力装置を持つ国家に外交を任せると、やがて、大変なことになりかねない。国家に代わって都市が外交の主役を担うことで、もっと平和的、文化的、学問的、経済的、進歩的な国際交流が展開できるはず。

例えば北方領土問題。ぼくは日本政府とロシア政府とでは、いつまでたってもお互いが国益を叫ぶばかりで、問題解決しないと思ってます(実際、半世紀以上、解決してません)。それよりも北方領土の島民と、北海道民とが、もっと盛んに、直接的に、ダイレクトに、繋がって、交流することです。境界線がどっちか?で争って全面戦争するなんてのは馬鹿げた話で、民間人が盛んに交流すること(都市外交、都市間交流)で、国家外交の膠着を打破できる。漁業権の問題も、北方領土の漁民と、北海道の漁民とで、直接的に交渉する。軍隊をもった国家が境界線を決めるから危険なんです。子供(漁業)のケンカに大人(軍隊)が出てくる。そういう問題に似てます。

20世紀の戦争の時代を生んだのは、紛れもなく国益最重要視の国家外交の影響でした。これでは、いつまでたっても状況は変わらない。もはや外交を、国家、官僚、政治家に、任せられないということです。そして外交は、自分たちで、できるんです。簡単にいえば友達を作るということです。政治家と官僚が何百回、国際会議やるよりも、民間人が、何百回と観光で異国を訪れて、その地で友達を作るほうが、よっぽど平和に繋がります。いまはソーシャルネットワークの時代で、簡単に人と人とが交流できる時代にもなりました。

20世紀の国家外交の時代から、21世紀の都市外交の時代へ。外交の世界でも、もはや、国家、政治家、官僚の時代は終わりました。自分たちでやらないと。やれるんですから。


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