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大阪という「都市の記憶」「まちのDNA(遺伝子)」

2011 年 4 月 6 日

江戸時代の大阪は人口約30万の町民都市でした。うち武士(行政マン)は約1500名だったとか。町民200人で武士1人を賄っていた比率になります。現在の大阪市人口260万を支える行政マンは1万3000人で賄えるはず。それが出来ないのは江戸時代より現在の行政府が組織として粗末であるということです。

ただ行政ばかりを責めることもできません。逆の観点からいうと、昔の大阪の町民は、武士(行政マン)がいないぶん、それだけ自分たちで町を治めていました。例えば捨て子は「軒親」といって町会が責任をもって育てました。まちに対して愛着がない、無責任な都市流民が多ければ多いほど「行政にやらせとけばええ」ということで、無尽蔵に行政コストがかかっていくわけです。

『お奉行の名さえ覚えず年暮れぬ』(小西来山)。江戸時代に大阪で流行った川柳です。大阪の町民は奉行なんて存在を無視しました。いまでいえば「橋下さん?だれ?聞いたことないですなぁ」とそういう感じでしょうか(笑)実際に大阪にはひとりの大岡越前もでませんでした。町の問題は、町民たち自身で解決したから名奉行なんて必要なかった。そういう「知性のある町民都市」を大阪は目指すべきやと思ってます。

かつての大阪はそういう立派な自治都市やったんですから。その「都市の記憶」がある限り、「まちのDNA(遺伝子)」を復活させることで、それは可能だと思ってます。


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