大阪の妖怪譚 日本初の河童 「河伯」

水の都・大阪には、かつて河童がいました。正確には「河伯」といいます。

『日本書紀』の仁徳紀11年(西暦322年)に「河伯」が仁徳天​皇の堤の造成を妨害して、それを防ぐために人身御供として武蔵国​の強頸(こわくび)を沈めて殺した…という記述が出てきます。(※原文「時天皇夢有神 誨之曰 武臟人強頸 河内人茨田連衫子 衫子 此云 於河伯 必獲塞 則覓二人而得之 因以禱於河神」)

「河伯」とは古代は「河神(川神)」を意味したようですが、時代が経るに​連れて神威を失い、やがてイタズラ小僧のような、例の「妖怪の​河童」になるわけです。猿田彦が天狗になったように、神々が時を経て妖怪にな​る事例はいくつもありますが、河伯=河童も同じ系統のようです。

なにはともあれ『日本書紀』に出てくるということで、この「河伯」は「日本の文献上はじめて登場する河童」「日本初の河童」やないでしょうか。(まちづくり関係者の皆さんへ。「水都大阪の妖怪」としてもっと大々的に宣伝したらどないでっしゃろ?千林商店街のマスコットにしてもええ思いまっせ) また河伯(河童)の生贄になった強頸の石碑は大阪市旭区千林の某民家の庭(非公開)に現在も​あります。

夏ということで大阪の妖怪譚でした(笑)


2011年 7月 19日
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