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女夫善哉

2011 年 7 月 31 日

『夫婦善哉』の舞台となった法善寺のぜんざい屋の「夫婦善哉」ですが、かつては「めをとぜんざい」と書いて、また「女夫ぜんざい」とも書きました。

「夫婦」と「女夫」。これ、意味がまったく違います。「夫婦」は夫婦そのまま。「女夫」は女は一人身の独身の女(芸妓、遊女)で、夫は妻や子がある身分の男のことです。

つまり「女夫善哉」は、そういう店やったんですな。千日前でカラクリ芝居やお化け屋敷を見た船場の旦那と馴染みの芸妓が、酒にも厭いて、夜も暮れて、ひっそりと法善寺境内の角の、赤いちょうちん「めをとぜんざい」に引かれて中に入り、静かにぜんさいを食べる。男と女が「さて、これからどこいこか?」と無言で思案する場所。決して、断じて、夫婦でいくような明るいとこではなかった。

オダサクの『夫婦善哉』も、柳吉は妻がいて、蝶子は愛嬌のある芸妓さんの物語。「夫婦」でない、昔ながらの「女夫」の物語なんですな。

女夫が、夫婦のように、生きて、暮らそうとする。その矛盾。そこがオダサク『夫婦善哉』の醍醐味、「笑い」と「哀しみ」です。


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