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終戦記念日

2011 年 8 月 15 日

太平洋戦争前夜。アメリカと戦争をするかどうか?という会議の話。

総理大臣兼陸軍大将の東條英機があまりにも勇ましいので、当時の海軍大将の嶋田繁太郎は「いまの海軍の鉄量ではとてもじゃないがアメリカとは戦争なんてできない!」と抗弁しました。すると東条は「では陸軍の鉄の分を半分回せばいいのか?」。ここで嶋田は躊躇しました。もしここで「それでもできない」といえば東条のことだから「では海軍に鉄を使わせるのは無駄である!膠着している中国戦線を打破するために、すべての鉄を陸軍に回す!」と言い出しかねない…。

多少、鉄の配給が増えたくらいで、アメリカに勝てるわけがないということは、嶋田には当然の如くに判っていたんですが、海軍大将として「陸軍に負けてなるものか」という海軍の面子、組織利益が最優先してしまい、それが結果として陸軍は大陸で、海軍は太平洋で…という二面戦争を展開することになりました。自分たちの省益のみを考えて、国家を蔑ろにして無謀な戦争を拡大し続けて、ついには亡国に至る。官僚が暴走すると、国は滅びるという典型的な一例です。

「官僚は自分が所属する省庁の利益だけを追い求め、国全体のバランスを考えない」「省益のためなら国益すら軽んじる」…これ、別に太平洋戦争の話に留まりません。戦後日本もまったく同じことでした。「道路を作らないと!」「ダムを作れ!」「空港がいるぞ!」「新幹線だ!」「コメを守れ!」「労働者保護だ!」「医療保険だ!」「中小企業第一!」「大企業優遇!」と、各省庁が各省庁の論理で国家予算のブンどりに躍起になった結果、国家予算の総額では到底足りなくなって、国債を発行して、発行して、発行して、いまや空前絶後の、未曾有の国債発行総額900兆円です。

ほんまはこういう事態に陥ったときは、国民から選ばれた政治家が「金が足らんのや!ええ加減にせえ!」とブレーキ役を担わないといけないんですが、官僚に取り込まれて「族議員化」してしまい、一緒になって「金を出せ!国債を発行しろ!」と旗降ってたんだから、いかんともしがたいです。官僚の手先になるんだったら政治家の存在意義はありません。

なにはともあれ「日本の病理=官僚統制国家体制」は、戦前も戦後も、じつはまったく変わっていないということです。1945年のヒロシマ、ナガサキの悲劇は、日本の戦前の軍事官僚の暴走が招いた結果でしたが、ぼくは、2011年のフクシマの悲劇だって、日本の戦後の経済官僚の暴走が招いた結果というように感じています。

今日は8月15日。終戦記念日。われわれは、あの戦争から、なにを学んだのか?なにを学ばなければいけないのか?もう一度、ちゃんと、改めて、マジメに、誠実に、向き合いたいと思ってます。合掌。


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