今日的な京都の性格と特性

明治維新で京都は死にました。天皇家が東京に遷都した時点で、京都の歴史的意義は終焉を迎えたわけです。

現在の祇園祭の巡行のさいに長刀鉾は決して「御所」の方角に刃を向けません。祇園祭とは天皇家を中心とした怨霊払いの祭礼であるからです。とある鉾の保存会の人に取材したときに、その人はそれをいかにも自慢のようにいったりもしました。 ぼくもはじめて聞いたときは思わず「へ~」と感心したんですが、しかし、よくよく考えると、これ、おかしいんです。というのも御所の方角にはすでに天皇家はいません。天皇陛下は東京にいます。京都から東京は東の方向にあって長刀鉾は東の方角にも刃を向けます。長刀鉾は御所には刃を向けませんが天皇家に刃を向けていることになります。しかし、そういうことを誰も口に出していわない。見てないふりをする。なんだか、不思議な話だなと思ってますが、京都というのはそういう生き方を選んだ都市で、これはこれでぼくはスゴイことだと思ってます。

御所は春と秋に一般公開をしまして、それを見に行ったこともあるんですが、「主のいない宮殿」のなんとうつろなことか。要するに京都という町のど真ん中(御所)は「真空」でして。なにもない。からっぽ。祇園祭のあのすさまじい巨大な熱狂の渦。エネルギー。その中心が「空」であること。「無」であること。ぼくはここに京都という都市のすごさ、恐ろしさを見出します。ある意味で、京都の人は常に「危機意識」をもっています。「千年王都の虚像」を必死に追っている。天皇家(東京)は変わっていくのに、京都は変わらない。変われない、とも言い換えることができますが。

時代祭ってのは明治維新以後にできました。天皇家が去って京都は見るも無残な精神的ショックをうけて、このままではいけない、「第2の奈良になるな!」(ほんとにそういったらしいですww)とシュプレコールを上げて「時代祭」という奇妙奇天烈な懐古主義の祭礼をはじめた。はっきりいえばコスプレ大会のような祭りなんですが、100年たって、いまでは葵祭、祇園祭と並ぶ京都三大祭の座を占めています。集客数も10万人以上に及ぶとか(個人的にはこれを京都三大祭ということに大いに抵抗を覚えてますが…)。「危機意識」「天皇コンプレックス」が時代祭を生んで平成の現在になっても京都の「まちづくり」を育んでいる。ぼくは京都は御所が「からっぽ」である限り、発展し続けると思ってます。なまじっか京都に天皇家が帰ってきたら、ある意味では現在のユニークな京都文化は終わるでしょう。安心して、安住して、歩みを止めます。「完成された都市」は斜陽化して没落していきます。完成していない、未完の都市だからでこそ未来に向かって発展していく。

御所がブラックホールのように、あらゆるエネルギーを吸い込んで、しかも満たされることがない。そんな都市構造が、今日的な京都の性格と特性を作ってます。


2011年 8月 17日
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