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来年の大河ドラマは平清盛

2011 年 11 月 20 日

来年の大河ドラマは平清盛。どうも日本史では清盛は嫌われ者ですが、あまりにも早すぎた天才とでもいいましょうか。日本史上でも稀に見る、突出した大英雄がじつは清盛です。なんせ彼は後白河法王(院政)と戦い、藤原家(摂関家、公家勢力)を倒し、東大寺の大仏(宗教権力)を焼き払いました。天皇と公家と宗教という三すくみの暗黒の中世時代を破壊して、武家社会の幕開けを切り開いた。

清盛は律令制、国群制、公地公民制に支配されるのではなく、自分の領地を所有して、そこを自分たちで治めるということを始めました。これは、それまでの権力の概念を覆します。どこそこの生まれ、母方が宮家といった血で収める政治や、仏罰が当たるぞ、神罰が下るぞ、といった迷信的な宗教的権威で政治をするのではなく、力で、富で、政治を行う。事実、清盛以降「一所懸命」の武士(源平)が誕生してきます。これはまさしく前近代の萌芽です。

また清盛は海がない京都を捨てて、海外進出しようと都を神戸・福原京に遷しました(治承4年・1180年)。日宋貿易を展開して富を得ようとしたんですな。

それ以前の国際交流といえば遣隋使や遣唐使です。それも菅原道真の建議(寛平6年・894年)以降は途絶え、平安中期以降の日本は鎖国体制でした。また遣隋・遣唐使は律令、経典などを大陸から日本に伝えるためのものでしたが、清盛は史上初めて富を得るために大陸に船団を送り込みました。日本史上で初めて「外交」ではなくて「貿易」を始めた男ともいえます。250年以上に渡る鎖国体制を打ち破って貿易を始め、力を、巨万の富を蓄えて、天下を牛耳った。

清盛はそのために自分の資本を擲って人工島「経が島」(兵庫津)まで開拓しています。このとき現代に繋がる国際貿易港・神戸の源流のようなものが芽生えたといえますし、その精神の有り様、ベクトルとして、日本史上初めての神戸っ子第一号は、まさしく清盛でしょう。

平家を倒した源氏は鎌倉に幕府を置きました。京都よりさらに東。大陸ははるか彼方。頼朝という男は一国二政府(京都と鎌倉)といったユニークな政治体制を作り上げましたが、どこか暗くて閉鎖的です。不思議なことに源氏の子孫を自称した家康にもそれがあります。また平家の子孫を自称した信長は、どこか清盛的です。ぼくは頼朝よりも清盛の開明性に強く惹かれます。源氏ではなくて平家政権がもう少し長く続いていたら、日本は来るべき大航海時代への足掛かりを掴んでいたかも知れません。平家、神戸、福原京の夢、可能性。そこが壇ノ浦で滅びました。それが惜しい。あまりに、惜しい。

ちなみに清盛は高熱の謎の奇病で亡くなっていますが、これは大陸性の伝染病=マラリアではないか?という説があるとか。これがもし本当であれば、清盛は昇殿から降りて、直に大陸の人間や異民族と触れあって交流したんでしょう。その好奇心、知的探求心が仇となって、不治の病に繋がった。歴史は因果なものです。

画像は神戸市兵庫区の荒田八幡神社にある「福原遷都八百年記念碑」。

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