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資本に隷属しない生き方を

2011 年 12 月 14 日

相場、株価というのが、実体経済を反映しているか?というと必ずしもそうじゃないわけで。「景気」という言葉には「気」という漢字が入ってますが、世間が強気になれば値は上がるし、弱気になると値は下がる。気の持ちようでいくらでも値が動くのが相場、株価の怖いところです。要するに時代や社会、世の中の「雰囲気」で資産、資本というものが決定される。紙幣が所詮「紙きれ」に過ぎないように、結局、資本というのは「うろんなる存在」であるわけです。その目減りにあくせくすることの不毛さ。愚かさ。

最近、マーケティングやマネージメントの世界ではバーター(物物交換)が見直されているそうですが、生産物と生産物とのあいだに紙幣という「うろんなる代替品」をはさむことによって、自分の「ライフ」(生。生き方)を見失っているのが、現代人間社会の悲哀です。大事なものは生産物であるはずなのに代替品を集めて喜んでいる。

このことは、ぼくが言い出すまでもなく、カール・マルクスが『資本論』の中ですでに言ってます。「疎外」という言葉を用いて警告してます。農業、林業、漁業といった自然界に働きかけて生産物を取得して生きていた時代では、自分のライフが明確に見えていたわけです。一粒の稲。それを作り、育てて、食べて、生きる。自分のライフは自分の手で作り上げている。ところが自然界と共存して生産物を作るのではなく、その中間マージンのみを搾取するような職業が生まれてくると、自分の人生というのは生産物、土地、自然というものから、どうしても離れてしまう。帳簿をみて、それに文字や数字を書き込んで、それで資本という「紙きれ」を頂く。こんなことを続けていては、自分がなにをしているのか、さっぱりわからなくなってしまう。太古の時代から続く自然のサイクルから我々のライフが「疎外」されてしまっている。

マルクスだとか『資本論』だとかいうと色々、誤解されそうですがww ぼくは共産主義者やありません。ただ、資本に支配されていると自分のライフを見失うことには危機意識を覚えています。どうすれば、自分のライフを、自分のものに出来るのか?これはぼく自身が生きていく上での1つの命題です。

EUは破綻しそうで、アメリカも中国も危ない。世界の銀行、証券会社がどんどん潰れていって、日本の株価もどんどん下がる。路頭に迷う人も大勢出てくるでしょう。自殺する人だっているかも知れない。しかしこれは政治や経済や体制や時代が悪いのではなく、自分のライフを生きていないと、人は誰でもそういう状況下に陥るということです。

いわば人間存在の有り様を問いただす哲学の問題。われわれは資本に隷属しない生き方を見つけないといけません。


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