ホーム > 雑感 > 「見立て」の世界

「見立て」の世界

2012 年 3 月 9 日

フロイトはダ・ヴィンチの「モナリザ」などを観て、ダ・ヴィンチの抑圧された性の欲望や同性愛的傾向を指摘した。暗く深い渓谷の中に女陰があり、屹立する古ぼけた塔の中に男根をフロイトは読み取った。

江戸時代の日本の場合は逆になります。当時の浮世絵師たちはウタマロに代表されるような、露悪趣味そのもののエロ・グロ・ナンセンスの絵を書いておきながら、そこに天橋立や富士山、近江八景といった風光明媚な自然美を入れ込んで、みんなはそれを読み取って楽しんだ。

自然描写の中に人間の深淵なる性の抑圧を読み取ったフロイトや西欧心理学者たち。人間の性の営みの中に自然美を描写した浮世絵師たち。禁欲的なキリスト教的倫理感がダ・ヴィンチのような絵を作り上げたともいえますし、欲望や煩悩を肯定する仏教的(とくに密教的)倫理感が浮世絵の世界表現を可能にしたともいえます。

いずれにせよ、面白いのは「見立て」の世界。昨日、表千家流に茶を立てて頂きまして。以上は、そのさいに、ふと思ったこと。茶の世界は何もかも「見立て」で成り立っている。日本文化の真髄とは「見立て」です。一服のお茶の中に、男女の性愛の中に、自然や世界、宇宙を観る。「日本文化的見立て」の深さ。面白さ。つくづく利休は偉大ですな。もちろん歌麿も。


カテゴリー: 雑感 タグ: