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昨日の夜、釜ヶ崎にある怪しげな一室で、不思議な集会があった。

2012 年 6 月 4 日

このあいだの「大阪七墓巡り復活プロジェクト」のプレトークにご参加いただいた應典院の秋田住職からご感想をいただきました。すごい望外のお言葉です・・・深謝。

http://www.outenin.com/

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正直に言うが、都市における宗教文化の再生には、職業宗教者を抜きでやった方がいい。厚顔な坊さんが出てきて、さも精神的リーダーのようにふるまわれると、ろくなことはないのであって、人々は説教師を求めているのではない。いや、宗教のエキスはもっと別のところから、例えば意外にも市民による表現の遊びなどからこぼれ出てくるものなのかもしれない。演劇、現代美術、音楽…手法は何でもいいが、肝心なところはひとつ。それは、死者との交流である。

 昨日の夜、釜ヶ崎にある怪しげな一室で、不思議な集会があった。大阪七墓巡り復活プロジェクトのプレトークだ。江戸期の大阪で流行った七墓巡りの由来については専用のFBを見てほしいが、当夜そこに登場した3人の案内人、陸奥賢、岸井大輔、オカモトマサヒロという異才たちのトークが滅法おもしろかった。浄土教、日想観、アジール、無縁所、河原者、芸能、死者祭礼、無縁墓…何故かハンナ・アーレントまで、次々連打される言葉の応酬に惹きこまれた。

 この企画は、近世都市大坂の周縁に配置された七墓を、往時に従い、夜を徹して巡るのだが、その本題は無縁仏の供養であり、死者との交流である、という。失礼ながら、宗教の素養などありそうにない3人が(皆40歳前後?)、すでに都市宗教のオリジンが何たるかを見抜いている。供養とは死者との対話であり、数々の祭礼(儀式や芸能も)とはそのための回路だったのである。

 近松が浄瑠璃にも描いた七墓巡りは、いわば死者に伴われた男女の道行だ。今風に言えば、若い男女のデートコースなのだが、近松の描く心中ものに熱狂した往時の人々には、生死を衝き動かす彼岸の旅だったに違いない。いつの時代にも、エロスとタナトスが満たされなければ、都市の活力は生まれないのだ。

 私がいちばん関心を持ったのは、七墓巡りの際、それぞれの跡地で行われる、アートによる供養だ。語りや詩の朗読、演劇、歌、ダンス、音楽といったパフォーマンスを墓前に捧げるという。そもそも芸能の始源とは、死者と生者の共振体であったのだが、伝統的な儀礼を逸脱して自由な形態から何が生まれるのだろうか。これは應典院の思想にもつながって、興味深い。

 ここには、プロの宗教者はいらない。既存の枠組みを超え、新しい祭礼を創り出すことで、市民たちが無意識に失われたオリジンを回復しようとしている。宗教といわない宗教…。パフォーマーたちもまた、いつもの舞台とは違う体験を得て、死者の声に気づくことだろう。

 それを新しい宗教のエキスとは、持ち上げ過ぎかもしれない。だが、自由な解釈も創造も、参加さえ厭う、体制的な教団仏教からは考えようもない、もうひとつの宗教文化が垣間見えるとしたら、こんな遊びも見過ごすことはできないのである。


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