堺と大阪のハーフ

ぼくは「大阪生まれ・堺育ち」で「堺と大阪のハーフ」であることが密かに自慢なんですが。この2つの商業都市は似てるようでまったく違う。いろいろと違いはあるんですが、決定的なのは成立した時代が違うんですな。つまり堺は血で血を争う戦国時代の商業都市であり、大坂は天下泰平の江戸時代の商業都市であること。

人を殺す道具(武具、鉄砲)で儲かったのが堺です。「死の商人のまち」であったこと。お金を儲けることは、つまり人を殺すことだった。これが堺の町衆のメンタリティに非常に大きな影響を及ぼしてます。こういう都市であったからでこそ、あの千利休の「数寄」の茶道が誕生してきます。

人生七十 (じんせいしちじゅう) 
力囲希咄 (りきいきとつ)
吾這寶剣 (わがこのほうけん)
祖佛共殺 (そぶつともにころす)
堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐるわがえぐそくのひとつたち)
今此時ぞ天に抛 (いまこのときぞてんになげうつ)
天正19仲春二五日 利休宗易居士

この『利休遺偈』の激しさ。深さ。怖さ。白刃の上を歩くかのような、ぎりぎりの覚悟を持って、商いや侘び茶をやっていたのが堺の町衆です。だから江戸幕府ができて、天下泰平になったさいに、堺はほっと肩の荷を下ろしてしまった。そして、ようやく普通のまちになれる、というんで、以後、商業都市を目指すことはなくなり、その座を大坂に明け渡しました。

大坂は、そういう意味では恵まれた時代に発展した商業都市です。お気楽な拝金主義が生まれたのも大坂で、しかしそれが元禄バブルの崩壊で一夜の夢と化す・・・ということを経験したのも大坂。その栄光と挫折から大坂に「粋」(すい)や「心中」の文化が生まれてくるわけです。

このあたりのことを踏まえて、堺と大坂の都市比較論をいっぺんやってみたいんですが・・・。


2012年 9月 13日
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