安藤氏の墓

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大和河内信貴道沿いには「安藤氏の墓」が。正式には「安藤次右衛門尉正次」という徳川秀忠直属の二千石の旗本(御旗奉行)で、元和元年(1615)5月7日の大坂夏の陣で負傷し、平野郷・願正寺で療養していたが再起不能と判断して、同月19日に自害した人物とか。

街道沿いに墓があるのは、わざわざ移動させられたわけで、平野郷の鎮護・守り神として祀られていたんだろうと思われます。恨みや怨念の度合いが強ければ強いほど、より鎮護の神仏としてグレードが高くなります。俗にいう「残念さま信仰」ですな。「敗北都市・大阪」は「残念さま」の宝庫の都市でもありました。


2013年 4月 4日
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