■大阪三十三観音霊場巡礼講~コモンズ・デザインとしての講を考える~

「なんで宗教家でもないのに大阪三十三観音霊場巡りを?」と聞かれて、とりあえず簡単に答え。

昔、堺から高野山までの巡礼街道「西高野街道」約52キロを全踏破して案内ガイドマップを作るという仕事をやったときに、西高野街道関連の文献を調べたことがあるんですが、江戸時代の人々は「無一文」でも高野山にいけたんですな。高野山にいくとなると、いろんな人々が「高野山参りをするとは、それはじつにええことです」と道中でモノを恵んでくれる。おにぎり、おだんご、茶、酒、新しい足袋までくれるなんてことがあった。勝海舟の父親の勝夢粋の自伝を読んでると同じような話がありまして。夢粋という男は抱腹絶倒の波乱万丈男なんですが、彼も若い頃にムチャやって無一文になり、そのときに知恵をつけてもらって、それが「柄杓(ヒシャク)」をもって街道を歩け・・・っていうアドバイスでした。柄杓を持ちながら街道を歩いているとお伊勢参りとカンチガイされて、いろんなひとが柄の中にモノを恵んでくれる。そうやっていれば決して飢え死にすることがなかった。

なんでそういうことが起こり得たのか?といえば、要するに「自分もいつかそうなるかも?」という危機意識や、そうなったときのための保険=セーフティネットなんですな。また「自分(自分の知人や友人たち)がかつてはそうやって誰か無名のひとのお世話になって生きながらえたから・・・」ということでもあります。要するに「御恩奉公」(give&take)というのは武士社会やビジネスの定理ですが、そうではなくて庶民・町衆の社会には「御恩御恩」(give&give)という贈与経済が成立していた。いつ見返りがあるかわからないけれども(結局、ないのかもしれないけれども)まず贈与することで、世の中が安心・安定していき、誰もが非常に生きやすい社会になる(こうした幸福社会の実現のために観音信仰やお伊勢参りが果たした効果や役割は非常に大きく、これはぼくは宗教の偉大なる知恵のひとつだと思ってますが)。

もちろん「大阪三十三観音巡り」は宗教行為ですが、宗教行為としてだけで捉えるのではなく、「御恩御恩」(give&give)という贈与経済の復活につながる「コモンズ・デザイン」として「大阪三十三観音霊場巡り」を訴えたかった。まぁ、回りくどい話なんで、なかなか伝わらないでしょうし、ボチボチやりたいと思ってますが・・・ww

■大阪三十三観音霊場巡礼講~コモンズ・デザインとしての講を考える~
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2013年 5月 22日
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