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「PIN」(Play in Newspaper=新聞を遊ぼう)

2013 年 9 月 24 日

「NIE」(Newspaper in Education=教育に新聞を)という運動があります。1930年代にアメリカで始まったそうで、メディア・リテラシーを育てる効果があるとされていますが、1930年代から長年やってるわりに、アメリカのマス・メディアの偏向報道の酷さをみていると、それほど、効果があるようには思えないなぁ・・・というものですw 日本で本格導入されたのは1989年だそうですが、Wikipediaを見ると「問題点」というのが列記されていて、なかなか手厳しい。

■「NIE」の「問題点」
http://ja.wikipedia.org/wiki/NIE
①新聞社は私企業であり、結局のところは、近年の新聞の売り上げの落ち込みのテコ入れ策でしかない。また、そういった新聞の売り込みそのものを教育の現場に持ち込む事に対する批判。
②新聞界において、昔から延々と発生し続ける記事の捏造や冤罪報道といった報道被害の情報は伏せられてしまい、意味がない可能性がある。
③既存の権力構造である新聞社が協力するため、そこから抜け出した考えをもち、偏向報道を見抜く事は困難であるかもしれない。
④新聞紙面の文章の言い回しは、一般社会ではありえないか、あるいは非常に抽象的かつ曖昧な表現が多い。そのうえ最近の新聞は、固有名詞を除けば、文字の表記を常用漢字に限定したり、必要以上に開いた表記(話す→はなす)を採用しており、文章の読解力向上に特に効果があるとは言い難い。
⑤教師が意識して、特定の新聞のみ教材として用意するなどで、恣意的な教育が行われる可能性がある。
⑥そもそも、日本の新聞は諸外国のそれと比較して、出版部数や価格の割に、内容が非常に薄い(欧米の日刊紙の半分程度しかない)。

「まわしよみ新聞」をやっていると時々「NIEは盛り上がらないのに、なんでまわしよみ新聞はこんなに盛り上がっているんですか?」と聞かれるんですな。上記のような問題点を「まわしよみ新聞」が解決するのは思えませんが、ただ「まわしよみ新聞」というのは決して「NIE」的なベクトルを志向したものではないんです、とは答えています。要するに「まわしよみ新聞」とは「教育のため」とか大袈裟なものではなくて、単なる「遊び」でしかありません。新聞記事を使ったカードバトルか大喜利大会か与太話の類であって「NIE」をもじれば「PIN」(Play in Newspaper=新聞を遊ぼう)というものです。だから面白いし、誰でも夢中になってやってくれるんですな。

「まくら投げ」ってのがあります。誰が始めたのか知りませんが、発案したひとはまさしく天才でしょう。寝具のはずの「まくら」を投げて、なんと遊びの道具にしてしまった。おそらく、昔のまくらは固かったんでしょうが、時代が経るにつれて進化して、柔らかくて、肌さわりもよくて、心地いいものになっていった。そうなったときに、誰かがこれはぶつけても痛くない=ぶつけるゲーム=「まくら投げ」やろうぜ!となった。遊びの発想を導入することで、まくらに「まくら投げ」という可能性が生まれ、世界が広がった。

「まわしよみ新聞」をやっていて、結果として、教育的な効果やメディア・リテラシーの醸成にも繋がるのかもしれませんが、そこは二次的三次的なものだとぼくは思ってます。僕個人の想いとしては、もっと新聞で遊ぶってことが世の中には必要だし、それをやりたいんですな。ぼくは新聞を遊びたい。メディアを遊びたい。そうすることで、新しい可能性や世界が開けてきますから。

■まわしよみ新聞
http://www.mawashiyomishinbun.info/


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