ホーム > 雑感 > 闇を認識することで、光を認識する=光が観える=「観光」が成立する

闇を認識することで、光を認識する=光が観える=「観光」が成立する

2013 年 10 月 16 日

明日は大阪府高齢者大学校の授業で太子・山王・飛田界隈のまち歩き。宗右衛門町→道頓堀→千日前→日本橋→新世界→釜ヶ崎・・・と毎週毎週、ディープなアジールまち歩きを続けていて、その最後の締めくくりです。毎年やってるんですが、これがまた超絶大人気授業で・・・これは、ぼくのガイドというよりも、まちが面白すぎるんですな。

光ばっかりみてると、人間の眼は何も見えない状態に、要するに「ホワイトアウト」してしまいます。モダンな近代建築や立派な大伽藍や美しい町屋もええですが、そればっかり見ていても、まちのことは、なんにもわからない。光と闇が混ざって、はじめて、人間はモノが見える。闇を認識することで、光を認識する=光が観える=「観光」が成立するわけです。そもそも人間さまがええとことわるいとこ、善と悪、光と闇が混ざってる存在なわけで、その人間さまが創るモノ=まちが、光だけっておかしいわけです。そんなわけがない。光と闇があるから、はじめて、まちやといえます。

ぼくがアジールやら大阪七墓やらを案内するのは、大袈裟にいうと、そういう観光哲学に立脚するからですが、いったん、そういう観点でまちを捉えなおすと、今までとは、まるで違ったまちに観えてきます。これが、文句なしに、おもろい。今度の27日のJR環状線まち歩きが、ちょうどその辺とリンクします。よろしければぜひとも。

■10/27(日)10時より【全20駅制覇を目指して!古地図片手にJR大阪環状線まち歩き】第7回!天王寺駅から新今宮駅までを歩く!
http://www.facebook.com/events/487615078002021/


カテゴリー: 雑感 タグ: