無事に終了しました。みなさん、ありがとうございますm(_ _)m→■11/3(日)深夜0時から「暗越奈良街道(約33キロ)を歩いてみる~奈良・春日大社から街道玉手箱を経て大阪・高麗橋へ~」(ひがしなり街道玉手箱2013企画)

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「まち」というのはコミュニティです。「みち」というのはコモンズです。「まち」がちょっとややこしいと感じたら、「みち」を歩くに限ります。「みち」はだれが歩いてもいいものです。みんなに開かれているものです。旅人が行き来する。だから「みち」はやさしい。

「みち」はまた「未知」なものでもあります。まちやコミュニティにはないものと出逢うのは「みち」です。「まち」は「自分」を発見する。しかし「みち」は「未知なるもの」「他者」と出逢う。ぼくは観光家として、どうも「まち歩きの人」と思われがちですが、じつはそれ以上に「みち歩きの人」であるし、「まち」よりも「みち」に強く惹かれます。実際にぼくが紹介する「まち」(七墓巡りや釜ヶ崎)は「アジール」や「悪所」であって、これはそもそも「他者にやさしいまち」であり、言葉は変ですが「みち的なまち」です。「まち」としては未成形で破れていて「みち化」しつつあったり、もしくは「みち」が「まち化」しつつあるものです。大阪はそんなまちが多く、だから、ぼくは大阪のまちが好きなんですな。

また「みち」を歩くと「まち」のことがようわかります。奈良の新しさや、生駒の可能性や、東大阪の歴史や、東成の面白さや、船場の格式などに気付く。「まち」を横断するから、いろんな「まち」を体験し、比較することができるんです。これも「まち歩き」にはない、「みち歩き」の可能性です。

「ひがしなり街道玉手箱」の「ひがしなり」は「まち」であり、「コミュニティ」です。「街道」は「みち」であり、「コモンズ」です。これはじつは一緒くたにすると妙なことになります。ちょっと性格が違うものなんですな。そして「東成」だけでなく、ちゃんと「街道」を取り上げないと、それは「ひがしなり玉手箱」であって「ひがしなり街道玉手箱」にはなりません。今後も「ひがしなり街道玉手箱」を継続するのであれば「ひがしなり=まち=コミュニティ」を盛り上げる企画と、「街道=みち=コモンズ」を盛り上げる企画と、両輪あると非常に面白いとぼくは思ってます。「東成区内」だけではなく、暗越奈良街道の始終である奈良・春日大社から大阪・高麗橋までの約33キロを歩いたのは「コモンズ・デザイナー むつさとし」(w)の、そんな気持ちの表明です。予算もいりません。歩くだけでもいろんな発見があり、素晴らしい体験になります。

「なんで深夜0時から18時間もかけて暗越奈良街道33キロを全部歩くなんてことをしたんですか!!?」といわれたので、以上は蛇足ながら。ちなみに何も1日で全部歩く必要はなかったんですが、これはぼくのスケジュールの都合ですww 何回かに分けてやれば、もっとお手軽にやれると思います。奈良や生駒や東大阪、上町・船場の人と連携してやれば、より可能性も広がります。なにはともあれ、ご参加してくれた参加者のみなさん、応援してくださった「ひがしなり街道玉手箱」のみなさん、本当にありがとうございましたm(_ _)m

■11/3(日)深夜0時から「暗越奈良街道(約33キロ)を歩いてみる~奈良・春日大社から街道玉手箱を経て大阪・高麗橋へ~」
http://www.facebook.com/events/440983142677347/


2013年 11月 4日
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