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神戸を愛する人、アートを愛する人すべてに

2013 年 12 月 5 日

神戸を愛する人、アートを愛する人すべてに。

■『神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会』呼びかけ文

神戸ビエンナーレは2007年から今年で第4回目を数えましたが、ここ数年のうちに、日本全国各地の都市で芸術祭、アート・フェスティバル、ビエンナーレ、トリエンナーレなどが数多く実施されるようになっています。こうしたアートの祭典が増えることは基本的には喜ばしいことですが、それぞれの都市の特性(歴史、物語、文化、風土、人)を活かした、その都市でしか実現できないアートの祭典が、より強く求められていくだろうと我々は考えています。

また2007年から比べても色々と日本の社会状況は変化し、アートを取り巻く環境なども劇的に変わってきています。新・自由主義やグローバル資本主義が押し寄せて、地方都市経済や地元密着の商店街などを疲弊させ、無縁社会、孤独死、ひきこもり、ネット依存、ヘイト・スピーチといった社会問題は、より深刻化しています。「失われた10年」は、いつのまにか「失われた20年」と呼ばれ、ますます混迷の度合いを深めています。なによりも2011年3月11日の東日本大震災や福島原発事故は、「我々は本当にこのままでいいのだろうか?」という「大いなる問い」を日本社会全体に突き付け、資本最優先の近代文明の在り様を根底から揺さぶりました。いまもその揺さぶりは続いています。

こうした緊張的で末期的な近代文明状況を反映してか、アウトサイダー・アートやアール・ブリュット(生の芸術)、芸術テロといった非常に興味深いアートの動きも急加速しています。これらは他者性を認める、または(より能動的に、攻撃的にでも)認めさせるためのアートの動きといえます。また「神戸ビエンナーレ2013」とほぼ同時期に開催された「あいちトリエンナーレ2013」は「揺れる大地-われわれはどこに立っているのか:場所、記憶、そして復活」をテーマに掲げましたが、まさに日本社会が直面している諸問題に真っ向から取り込んだアートの祭典といえるでしょう。こうしたテーマを掲げることは、各界に是々非々の「対話」を生みましたが、しかし、政治や教育ではできない「気づき」や「問い」を与えることが、アートの重要な性質のひとつであると考えますし、こうした「対話」が起こったこと自体が素晴らしいことであると思います。むしろ神戸市民、神戸のアーティストが懸念すべきは、なぜ「あいちトリエンナーレ2013」でこうした「対話」が巻き起こり、「神戸ビエンナーレ2013」ではそれが起こりなかったのか?という部分です。阪神淡路大震災を経た神戸という都市だからでこそのビエンナーレがあっただろうし、こうした「対話」があって然りだったのでは?という思いがあります。

いずれにせよ、アートだけの動きに限らず、政治でも経済でも文化でも教育でも、2011年以降は「総点検する時代」に入ったのだと考えています。震災、原発事故を経て、日本人はいろんなことに気づきました。過去、良かったもの、素晴らしかったものでも、本当にそれでいいのか?現在も通用するものかどうか?を考えないといけない。さらに現在だけが良いのではなく、未来に向けて発信するべきものかどうかを深く考えないといけない。「神戸ビエンナーレ」について、神戸市民が集まり、いろいろと「対話」をしようといった動きを促すのも、こうした「総点検する時代」の動きのひとつです。神戸を愛するすべての市民、アーティストは是非ともご参加下さい。神戸ビエンナーレについて思うところ、忌憚のないご意見を下さい。そして、みんなで「対話」をしましょう。神戸の未来のために。

■12/7(土)14時から神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会
http://www.facebook.com/events/639453319431912/

■神戸ビエンナーレについてご意見をお願いします
https://docs.google.com/forms/d/1mkNZ0–KSgfF0s-Ims-s3wZKZUEb546OzKnzbeCEaUk/viewform
12月7日の~神戸ビエンナーレをさらに盛り上げるために「100人のアーティスト」が集まる会~にて、フォームに書き込んでいただいたご意見を発表させていただく予定です。※時間の関係上全ては発表できませんのでご容赦ください。


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