死の商人のまち=堺

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堺と大阪は日本では非常に珍しい商業都市ですが、この2つの商業都市は全く性格が違います。堺は戦国時代の商業都市で、刀や鉄砲といった人を殺す武器で儲かった。大阪は天下泰平の江戸時代以降の商業都市なんで、まぁ、気楽なもんですわw 堺の人間は戦国時代の堺のことを「黄金の日日」とか「堺は町衆で環濠を作って守り、平和な自治都市だった」なんてことをいいますが、それは全くの虚像で「死の商人のまち」というのが実像でしょう。色んな敗北者に恨みを買っただろうし、憎まれただろうと思います。そういうストレス、緊張感あふれる都市状況の中で、誕生してきたのが利休の「数奇」で。数奇とは「数奇な運命」の数奇で、それをやった結果、一体、どうなるかわからないけれども身を投じるという奇なる精神や実践のこと。弱肉強食・下剋上の戦国時代。いまは栄華でも、一朝には野辺の骸となっていてもおかしくない。人の生死が羽毛のように軽い時代だからでこそ、人と人との邂逅の奇を信じ、己と他者が生命を完全燃焼させるような「聖なる一回性」「一期一会」を具現化しようとした。茶道が茶道としてエトス化(儀式化、形式化。これはもちろん形骸化ともいえます)するのは堺から京都に移ってからで、京都の三千家の茶道と、堺の利休の数奇は、まるで方向性が違うものだったでしょう。

現在の堺のまちを歩いていても、そういう雰囲気はまるでないんですが、「死の商人のまちだったんだ」ということを大前提に、まち歩きを組み立ていかないと、堺のまちの本質を見落とします。こういう「都市の闇」を行政組織は黙殺しますから。民間の、町衆が、ちゃんと伝えていかないといけない。

画像は堺名物の小島屋さんの芥子餅。茶は興奮剤。芥子は鎮静剤(いまの小島屋さんの芥子餅には麻薬成分はありませんよ)。ともに「麻薬」です。出征時には茶を飲みます。そうやって感情を高ぶらせ、戦場に向かう。芥子は傷病者に用います。また初めて人を殺した時、人はあまりの高揚感で狂うとか。それを芥子で「鎮まれ!」と抑えたりする。なぜ堺に芥子餅の小島屋さんがあるのか?表層ではなく、その背景にこそ、まちの真実があります。


2014年 3月 30日
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