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「イロコイ連邦憲章」と「9条」

2014 年 9 月 9 日

アメリカ先住民族の話。それまで何百年間とインディアン部族同士で戦争を続けてきた。しかし、16世紀末頃に伝説のインディアン酋長「デガナウィダ」と、大戦士「ハイアワサ」の呼びかけで五部族が会議を行い、その結果、すべての武器を土に埋めることにした(戦争と武力の放棄)。それが恒久平和同盟である「イロコイ連邦憲章」。

じつはアメリカ合衆国憲法の制定には、この「イロコイ連邦憲章」の影響がすこぶる大きい。フランクリンやジェファーソン、トマス・ペイン、ワシントンなどが、イロコイの部族会議に参加したり、学んだりしている。そこでインディアンたちの優れた合議制や平和思想などを学んだ。インディアン(環太平洋的・東アジア的)な母性文化と、ヨーロッパの男性文化が混交して産まれたのが、アメリカ合衆国憲法だったりする。

いまだにニューヨーク州オンタリオ湖界隈に「イロコイ連邦」はあって、アメリカ合衆国からも自治を認められている。かつては、アメリカ合衆国大統領は就任するとイロコイ連邦を表敬訪問するのが慣習だった(インディアンが行くんやないですよ。アメリカ大統領が行く)。それは1963年のジョンソン大統領まで続いたが、ジョンソン以降は残念ながら終わってしまった。

象徴的なのが、イロコイ連邦訪問をやめたジョンソン大統領辺りからアメリカは軍産複合体に完全に乗っ取られてしまうこと。そしてベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争、テロとの争い・・・など、終わりのない戦争の時代に突入していく。アメリカはアメリカの中にある平和思想(インディアン精神)を復活させねばならない。

日本国憲法第9条は日本単独で作ったわけでもないし、アメリカの完全なる押し付けでもない。どっちが作ったか?と論争することは不毛でしかない。あれは要するに日本とアメリカの「合作憲法」であるから。敗戦でつくづく戦争が嫌になった日本。そしてアメリカ人のDNAの中には、じつはイロコイ連邦憲章に学んだ戦争と武器放棄の平和思想があり、それがあの瞬間に奇跡のようにシンクロした。

「日本とアメリカの合作」としての「平和憲法」。合作だから、素晴らしいし、近代国家の枠組を超えたものとなっている。その歴史的価値づけは近代国家主義者にはわからないだろう。もし太平洋戦争の悲劇に、なにか人類史的な前向きな意味づけを与えられるとするならば、平和憲法を産みだしたことに他ならない。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

国家単独のものとしては、この憲法は歪んでいるといえる。しかし、美しい。じつにユニークだともいえる。この平和憲法を変える(=「普通の国」になる)とは、一体、どういうことなのか?もう一度、我々は深く、よく、考えなければならない。

http://www.asahi.com/articles/ASG944G3XG94ULZU00J.html


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