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「見える孤独」と「見えない孤独」

2014 年 10 月 29 日

釜ヶ崎は近代が要請して誕生したまちです。資本家や官僚が「日雇労働者のまち」を作れば便利だろうと考えた。ところが日雇労働者たちがまちに集うと、やがて団結し、資本家や官僚と戦うことを覚えた。「労働者を一箇所に集めるとややこしい。孤立化させなければ」。
ネット登録の派遣労働がそれを可能にしました。顔を合わせるリアルなまちではなくて、ネットで個々に管理すれば、派遣労働者が団結して資本家に逆らうこともないだろうと。事実、派遣労働者の若者たちはネット上(掲示板やSNS)では集まりますが、リアルな繋がりはなかなか結べない。

ネカフェにいけば、派遣労働の若者たちがたくさんいます。派遣労働者は補償がない。いつクビが切られるかわからない。ワーキングプアで、年ばかりとる。やがて30、40といった年齢にさしかかる。言いようのない将来への不安と孤独を抱える。実は隣のブースには同じような立場の人間がいるんですが、お互いに没交渉。孤独はネットで慰め、癒す。ここから自己愛と国家愛を混同したり、嫌韓・反中にハマったりする。釜ヶ崎の日雇労働者は孤独が見えます。だから団結することができた。ネカフェの派遣労働者の孤独はなかなか見えない。「孤独の孤立」。これがじつにつらい。

そもそも派遣労働はアメリカで産まれたもので。イラクやアフガンとの戦争で米兵が死ぬとコストがかかってしょうがない。まず一人前の兵隊にするのに金がかかり、それがテロでやられて「名誉の戦死」をしたりすると、また補償やら恩給が必要になる。それでテロリストがよく狙う輸送や補給などを民間会社(もちろん派遣会社の資本家と官僚の癒着です)にやらせた。民間人なら死んでも国家は補償しなくていい。育てる金もいらない。トラック、船、飛行機の運転手などなんぼでもいる。危険な戦争現場に送り込まれる「使い捨ての派遣労働者」がこうして産まれた。やがて、この派遣労働システムが小泉政権下の日本に導入される。

釜ヶ崎の日雇労働者とネカフェの派遣労働者。見える孤独と見えない孤独。釜ヶ崎の孤独は時に噴出し、「釜ヶ崎暴動」につながりました。これはある意味、ガス抜きでもあった。派遣労働者の孤独はどこまでも潜行し、地下に伏流し、なかなか表れない。しかし、これがもし、噴出するようなことがあった時は、これはとんでもないことになるんやないか?と、そういう懸念が、ぼくの中にはあります。

大衆は資本家や官僚の思い通りになるようなそんな愚かな存在ではない。じつはしたたかで、いったん暴れ出すと歯止めがきかない。恐ろしい。恐ろしいが、これが世の常なのかも知れないと、ぼくはどこかで諦めてもいます。

以上は釜ヶ崎への個人的雑感。太田監督の映画『解放区』はまだ観れてません(監督ごめんなさい!)。大変な難産だったと聞いてます。機会があれば観てみたいですな。

■身の危険を感じながら大阪・西成の現実描いた太田監督「生きることを肯定したい」
http://eiga.com/news/20141028/10/


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