大坂→大阪(大坂の没落・大阪への願い)

一番古い大阪燈籠・住吉大社_01a
大阪には「いつから大坂ではなくて大阪が使われるようになったのか?」という、どうでもいい人にはどうでもいい問題がありw 

江戸時代は「大坂」で、明治時代から「大阪」になったというのが通説ではあるが、調べてみると江戸時代から「大阪」は使われだしている。

わかりやすいのが住吉大社にある大阪庭構中の燈籠が「大坂」ではなくて「大阪」を使っている。これが天明6年(1786)のもの。大阪を使った石造物では最古級のものだと思われる。

これは巷間よくいわれることだが、大坂の「土」(つちへん)は「土に返る」という意味があり、大阪の「⻖」(こざとへん)は「土を盛る」といった意味がある。元禄期の大坂の繁栄は淀屋闕所や宝永大地震(東南海大地震)で停滞し、紀州・徳川吉宗の江戸入城もあって、上方文化が江戸に移っていく。そうした影響で天明期の大坂は確かに没落していた。「大阪」という文字を使いだすのも、そういう「かつての栄光再び」の願掛けが込められている。

歴史的には天明以後に化政文化(1804~1830)時代がやってくるが、これも江戸が中心。かつての元禄文化(1688~1704)は大坂・上方が舞台であったが、大坂の化政文化期は残念ながら元禄文化期ほどの輝きはない(細かく見ていくと素晴らしい芸術や学問分野での進歩、業績はあるのだが…)。

結果、18世紀以降、大坂は長期的に下降気味で、幕末からどんどんと時代が進むに連れて「大阪」の文字使用も増えていく。そして明治以降、「大阪」が決定的になる。

「大坂→大阪」になったように「大阪没落」というのは、ここ数年の話ではなくて。長い長い歴史的なスパン、流れがある。だから、その歯止めは、なかなか難しい。一朝一夕ではないということです。


2021年 9月 16日
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