ホーム > 雑感 > 陸奥家ファミリーヒストリー。去年の秋に父・信一が亡くなり、遺品整理をしていたら陸奥家の戸籍を発見した。

陸奥家ファミリーヒストリー。去年の秋に父・信一が亡くなり、遺品整理をしていたら陸奥家の戸籍を発見した。

2022 年 5 月 4 日

陸奥家ファミリーヒストリー。去年の秋に父・信一が亡くなり、遺品整理をしていたら陸奥家の戸籍を発見した。

僕の祖父・文夫は若い頃は遊び人の放蕩息子であったらしく、それが元で曽祖父の利宗から勘当されていたので曽祖父が何者か?何をしている人なのか?さっぱりわからなかった。

気になったので、いろいろとリサーチしてみたら利宗は若い頃は大蔵省専売局の書記官であったことがわかった。その後、大蔵省の役人を辞め、数年後に突如として宇治山田市役所に勤務し、筆頭主事(市長、助役に次いで3番目の地位)となって約10年間ほど宇治山田市政に携わっていた。

祖父・文夫は晩年になって若い頃の放蕩を後悔したのか「曽祖父・利宗の墓参りに行きたい」と言い出し、父・信一は一時期、利宗の墓を探してみたが結局、よくわからなかった。心残りであったろうと思う。

父が亡くなったことで、父の心残りを解消する(それは祖父の心残りでもあった)のが息子の、孫の僕の役割ではないか?と考えて、それで僕なりの方法論で利宗の墓を探索してみた。

結果からいえば利宗の墓はかつて大世古墓地にあったことまで突き止めた。ところが、この墓は平成18年に祖父・文夫の妹さん(利宗の末娘)の手によってどこかに改葬されていることがわかった。おそらく永代供養にしたのだろうと考え、いろいろと付近の永代供養の寺院をリサーチしてみたが全く見つからない。

ただ去年に宇治山田に現地リサーチしたさいに妹さんが住んでいたと思われる家を発見した。表札にうっすらと「陸奥」の文字があり、確認できた。しかし家は長く不在のようで空き家のようになっていた。

今回は妹さんの家の付近の方に聞けば妹さんの動向がわかるのでは?ということで周辺をリサーチしてみた。結果からいえば、これが大成功で妹さんの町内会の方、地主さんとコンタクトがとれて妹さんの動向がわかった。

まず驚いたことは妹さんがまだ御存命だったということ。現在、101歳で某老人ホームに入っておられるらしい。祖父・文夫も享年95歳という長命でしたが、まさか妹さんが生きていらっしゃるとは思わなかった…。

妹さんは伊勢市の税務署に勤務していたそうで(利宗は宇治山田市の税務担当の主事でした)、地域の方がいうには「お偉いさん」だったらしく、しかし長く独身であったとか。数年前にカラダを悪くして老人ホームに入りましたが、その時に身辺整理をし、陸奥家の墓も改葬の手続きをしたそうで、その場所が「祖霊社」であるということを突き止めました。

■祖霊社

http://www.soreisya.or.jp/

僕はずっと宇治山田周辺の「永代供養の寺院」を探していましたが、じつは利宗は永代供養ではなくて「永代祭祀の神社」に改葬されていたんですな。宇治山田=伊勢はさすが神宮が強い。盲点というか、そこは考えが及ばなかった。なんとなく仏さんになってるんだろう…と思っていたら、じつは神さんになってました。利宗さん。

祖霊社にお伺いをして神官の方に事情をお話しすると別室に案内されて「陸奥家のものです」という確認をした後に妹さんが書いた利宗の改葬の申請書類のコピーを頂戴しました。添付の画像がそれです。陸奥利宗と妻のヲカ、それと3人の娘(文夫の妹たち)の霊璽(位牌)は「祖霊社」に。ご遺骨は「鎮魂殿」に収められている…という書類。

去年の秋からリサーチを開始して、半年かかりましたが、ようやく利宗の墓を発見できました。早速、祖霊社にお参りして曽祖父・利宗に祖父・文夫、父・信一のことを報告できました。よかったよかった。

これからお参りする先が増えましたな。伊勢市、宇治山田の祖霊社と鎮魂殿。大阪から宇治山田はちと遠いですから、そんなに頻繁にお参りにはいけないが、自分のルーツを、先祖の墓を確認できたのはほっとしました。


カテゴリー: 雑感 タグ: