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みんな社会実験するがいいですよ

2023 年 1 月 12 日

僕のプロジェクトには特にプランやエビデンスなどないことが多いw

要するに「直観」「閃き」「なんとなく」「思いついたから」「やってみた」というのが大抵の僕のプロジェクトの動機、本心、本音だが、そうなると僕のプロジェクトは日々「PDCAサイクル」とか「マーケティング」とか「リスクヘッジ」といったお堅いビジネス思考に染まった世間の人を、どこか不安がらせる要素がある。端的にいって信用されないw

だから、そういう「お堅い人たち」にもそれなりに届きそうな言葉として「僕のプロジェクトは社会実験です」と名乗るようにしたわけです。

大阪七墓巡り復活プロジェクトも直観讀みブックマーカー~本と人との新しい出逢い方~も当事者研究スゴロクも歌垣風呂~風呂は現代の歌垣になりうるか?~も死生観光トランプも一連のコモンズ・デザインはすべて社会実験であります。

社会実験という言葉は、なかなか便利な言葉で、この言葉ひとつで極私的(?)なプロジェクトでも、どこか公共的な性質が感じられる。

「むつのやってることはよくわからんが、そうか。社会実験か。まあ、そういう社会実験もアリかも知れないなあ」というお目溢しが発生する。発生してほしいという狙いがあるw

それぐらい世間の中にビジネスマインド、ビジネス思考、損得感情が浸透しているんですな。損とか得とか金になるとか金にならないとか、算盤弾いてから動くというのが当然、必然、常識という人にとっては僕のやることなすことは珍獣のように見られてしまう。

そういう「ビジネスの呪縛」のようなものから逃れるために「社会実験」という言葉の持つ面白さに着目したわけです。

「エビデンスは?」とか「リスクヘッジは?」とか「マーケティングは?」とか、うっせえうっせえうっせえわ…という気分、ないですかね?みなさん?

ま、社会実験者と名乗ることで僕がその手の「ビジネスの呪縛」から逃れられてるかどうかは不明ですがねw 結局、珍獣扱いは変わってない気がするので…。

まあ、しかし、みんな社会実験するがいいですよ。社会実験者になるがいいですよ。じつは生きてることは、なにかやるということは、須く、全て、社会実験であります。


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