■PARA:陸奥賢・岸井大輔と5日でどこまでリサーチできるかな
15歳からフリーターで働きだしたが、いろんなバイトをするうちに、あちらこちらのバイト先に先輩ができた。大学、大学院に通っている先輩たちの話は面白く、しょっちゅう先輩についていって大学に通った。当時は学生運動の成れの果てみたいなコミュニティなども沢山あって、そういうところをフラフラしていた時期がある。
なんせ当時の僕は家がなかった(霊◯会活動を拒否、拒絶してから家、親族との関係性はズタボロであった)。大学には多種多様なクラブや研究室があり、徹夜麻雀のメンバーとして勝手に転がり込み、寝泊まりしていた。冷蔵庫やら冷凍庫やらがあり、テキトーに食べ物があり、先輩らの麻雀の相手をしてるだけで食べて生きていけたw
僕が小演劇、大学演劇と触れたのもそこだったし、学生のフリして講義に出席して大衆心理学、メディア論、文学史、歴史学、社会学などのカリキュラムを受けたりしていた。講師に質問の投書をしたこともある。講義の終わりに投書箱を設置して質問に答える講師がいたのだw
そこで学んだことは、いまの僕の仕事にめちゃくちゃ役立っているが、これは当然、モグリというやつで、25年前、四半世紀前のことだが、いまでは到底そんなことはできない。また、そこで僕が得た恩恵は、社会還元することでしか僕の罪は許されないだろう。
そして、だから僕はコモンズ・デザインなんてやっている。なぜ陸奥さんのプロジェクトはフリーなんですか?とよくいわれるんですが、僕がフリーライダーで図書館やら大学やらで無料で金も払わずに学んだのだから、僕が生み出すプロジェクトやコンテンツはフリーで贈与するのは当然のことです。なんらえらくもなんともない。
結局、僕みたいな得体の知れない若者がいろんな大学内をフラフラできたのは、それぞれの大学に自治があったから。学生運動の成れの果てで、学生たちに自治が与えられ、その自由裁量の名の下に、いろんな社会実験が行われていた。※この大学自治が侵害され、縮小していくのが1995年のオウム地下鉄サリン事件という岸井さんの実感はよくわかるし、僕もその時代精神の変化の中にいた。へんなカルトにハマる先輩もめちゃくちゃいた。
まあ、やっている当人は社会実験なんて意識や意志もなくて、ただ欲望のままに、衝動やら直観やら情念に突き動かされ、その大部分はムダでムイミでムキドウでムチャクチャであったが、そういう試行錯誤をしないと、世の中に新しいリノベーションが起こらないという気がする。「新しき人」が生まれてこないという気がする。
自由区やら解放区やらコモンズやら。そういう場や時間や機会を作りたいというのがPARAの一つの狙いらしい。それを東京、神保町でやるのが個人的には面白い。なんせ神保町は日本近代の揺籃の地であるから。このまちは新しき人を作ってきた。
PARAは、ある種の原点回帰のようにも見える。地霊でもあるか。
※というわけでPARA、来期のカリキュラムが発表されたようです。新しき人、来れ!
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