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2023 年 3 月 17 日 のアーカイブ

新皇と天皇

2023 年 3 月 17 日 Comments off

神保町界隈を歩いていて気づいたのが、神保町には寺社仏閣がない。元々、武家屋敷で、町名もなく、寺社仏閣もなかったらしい。武士は神仏に頼むことが少ないのか、お稲荷さんも少ない。

氏神さまはどこなんやろう?と思ったら、神田明神。要するに平将門公。神保町、神田界隈をリサーチするんやから、これは将門塚、首塚にお参りしとかないかんと思い、フラフラといってみた。えらいキレイになってて驚いた。

前に来た時は将門塚は改修工事中であった。首塚は動かすと祟りに襲われるという都市伝説が有名だが、大丈夫かいな?と思っていたら案の定、コロナが流行り、東京五輪が延期になり、政治家が兇弾に倒れたりした。下手に改修工事なんかするもんではない。これ、僕がいってるんやなくてネット上でそんなことが言われている。

お参りすると、なぜかカエルちゃんがいた。なんやろか?

将門塚はしかし皇居を睨んでいるようにも見えて、新皇と天皇が向かい合っているのは、いろいろと考えさせられる。


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PARAの講義で、ただただ神保町、神田を逍遥してリサーチするという5日間。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

PARAの講義で、ただただ神保町、神田を逍遥してリサーチするという5日間。

江戸(東京)の都市構造は江戸城(皇居)を中心として渦巻き状に町割が展開していく。上から見ると「の」とか「@」みたいな都市が江戸。

江戸城の周りは武家屋敷で、大手門(東)からスタートするとまず親藩、譜代、外様といった大名屋敷がぐるっと江戸城の周り(東→南→西)に配置され、江戸城北側の田安門(九段下)を超えた神田エリアから旗本、下級武士のエリアとなる。この辺は幕末の古地図などをみても小さい武家屋敷が所狭しと密集している。

神田が面白いのはこの土地柄で。ここは武家屋敷であったが、最も禄は少ない。だから江戸幕府が倒れたら、最も生活に困り、ダメージが多かったエリアだろうと思われる。武家屋敷から泣く泣く零細の武士は去り、土地利用がしやすくなった。

そこで、その空いた武家屋敷跡に明治新政府の主導で、いろんな新しい学校、大学が置かれていく。そして近代教育の先駆、パイオニアの地となった。

親藩、譜代、外様と違って旗本はまた将軍直参のプライドがあったから、彼らは生活苦で貧しいとはいえ、封建社会を支えた元エリートとして近代教育にかける熱意と努力もあったろう。いち早く近代文明を身につけ、近代のエリートにならないと生きていけない。

彼らは大名家、藩主がそのままスライドして華族となったような、そんなエスタブリッシュな特権階級ではないので、ひたすら実力主義でのし上がるしかなかった。※明治維新が近代革命でもなんでもなく単なる薩長藩閥の徳川憎しの遺恨に過ぎないのがこの事実だけでもわかる。特権階級はそのまま温存されたままだった。そこに近代の意志、理想などない。

神田、神保町の古書店街は大学の教科書の再利用から始まったという。新しい教科書なんて贅沢で買えない。古い教科書を再利用して学ぶ。質屋なんかも多い。若者たちの苦学を支え、近代を支えたのが神田、神保町といえる。

まだ歩いて3日目だが、神田、神保町の特殊性はよくわかった。近代日本を揺籃した文教の都市がココ。PARA、ほんま、すごいとこにあるなあ…。


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新島譲とロビンソン・クルーソー

2023 年 3 月 17 日 Comments off

護持院跡地、護持院ヶ原跡地をさらに北上すると瀟洒な洋館が見えた。覗いてみたら博報堂であった。旧本館を復元したものらしい。どうりで建物の部分、部分が妙に新しい。

この博報堂は幕末には安中藩板倉家の江戸藩邸屋敷があったとか。面白いのが、ここの藩邸で生まれたのがなんと新島譲。安中藩の下級藩士の子だった。新島譲はこの安中藩の江戸藩邸でアメリカの地図や洋書を読んだという。そして海外渡航、アメリカに大いなる憧れを抱いた。

その後、1864年に新島譲は国禁を犯して密航でアメリカに渡り、現地でキリスト教の教えに感動して洗礼を受けた。帰国後、同志社大学を作ろうと奔走し、その実現の最中に47歳の若さで病没した。

面白いのが新島譲が江戸藩邸で読んでいたのがロビンソン・クルーソーの漂流記らしい。漂流記を読んで、ほんまに密航しようと企むのは正気の沙汰ではないが、無責任に想像を逞しくすれば、このロビンソン・クルーソーの漂流記は、洋書調所からの流出ではないか?という気がする。

1862年に護持院ヶ原に洋書調所ができて、まさにその頃に新島譲は安中藩邸にいた。洋書調所と安中藩邸は目と鼻の先です。

洋書調書から流出した一冊の本が、一人の若者の人生を狂わし、それが同志社大学となり、日本の近代教育の萌芽に繋がったのだとしたら実に愉快な話ではあるw


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護持院跡地

2023 年 3 月 17 日 Comments off

大手町から北上して江戸城を左横目に見ながら日本橋川、神田橋を渡ると神田エリアに至る。江戸時代はじめには、かつてはこの辺りに護持院という真言宗寺院があったとか。ところがこれが18世紀初頭に大火事で焼失する。

なんせ江戸城の真北、すぐそばの大火災であったので江戸幕府は恐れ慄いた。もし江戸城に引火したら大変なことになる。護持院は大塚の護国寺に移転となり、護持院跡地は火除地、空地となった。「護持院ヶ原」といったという。

この護持院ヶ原での仇討事件をモチーフにして森鴎外が小説を書いているとか。読まないかん。

そして実はこの護持院ヶ原に作られたのが「洋書調所」。1862年のこと。九段下の蕃書調所(1855)が移転して、一時期、ここにあった。これがまた後に神田エリアに移転して開成所→帝国大学→東京大学となる。

護持院の火災で巨大な火除地が神田橋北側にあった。そこに洋書調所が移転してくる。これも神田が文教エリアとして近代に隆盛を誇るひとつのポイントであったらしい。

付近を歩いていたら幕末の古地図があり、たしかに「護持院上地」と書かれている。「二番明地」「三番明地」とある。かなり広大な敷地。なるほど。こりゃ、学問所の設置に最適そうですな。


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湯島聖堂。湯島聖堂は文京区。神田明神は千代田区。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

湯島聖堂。湯島聖堂は文京区。神田明神は千代田区。

千代田区の地図を見ていると秋葉原も千代田区で、なんとなく神田川以北で収まりが悪い。神田明神は元は平将門公の首塚あたりにあったから千代田区でも、まあ、納得できるが。

東京の区割りは複雑で、ややこしくて、どうも納得がいかないことが多いw


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神田大明神。銭形平次の碑。手が込んでいて寛永通宝の上に建てられている。もちろん銭形平次はフィクションであるが、明神下に住んでいるという設定らしい。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

神田大明神。銭形平次の碑。手が込んでいて寛永通宝の上に建てられている。もちろん銭形平次はフィクションであるが、明神下に住んでいるという設定らしい。

銭形平次は岡っ引き。岡っ引きというのは江戸の言葉で上方では「手先」という。警察官僚の下っ端のような存在で、中にはヤクザもんみたいなのも多かったとか。要するに町衆からは嫌われていたりするw


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■PARA:陸奥賢・岸井大輔と5日でどこまでリサーチできるかな

2023 年 3 月 17 日 Comments off

15歳からフリーターで働きだしたが、いろんなバイトをするうちに、あちらこちらのバイト先に先輩ができた。大学、大学院に通っている先輩たちの話は面白く、しょっちゅう先輩についていって大学に通った。当時は学生運動の成れの果てみたいなコミュニティなども沢山あって、そういうところをフラフラしていた時期がある。

なんせ当時の僕は家がなかった(霊◯会活動を拒否、拒絶してから家、親族との関係性はズタボロであった)。大学には多種多様なクラブや研究室があり、徹夜麻雀のメンバーとして勝手に転がり込み、寝泊まりしていた。冷蔵庫やら冷凍庫やらがあり、テキトーに食べ物があり、先輩らの麻雀の相手をしてるだけで食べて生きていけたw

僕が小演劇、大学演劇と触れたのもそこだったし、学生のフリして講義に出席して大衆心理学、メディア論、文学史、歴史学、社会学などのカリキュラムを受けたりしていた。講師に質問の投書をしたこともある。講義の終わりに投書箱を設置して質問に答える講師がいたのだw

そこで学んだことは、いまの僕の仕事にめちゃくちゃ役立っているが、これは当然、モグリというやつで、25年前、四半世紀前のことだが、いまでは到底そんなことはできない。また、そこで僕が得た恩恵は、社会還元することでしか僕の罪は許されないだろう。

そして、だから僕はコモンズ・デザインなんてやっている。なぜ陸奥さんのプロジェクトはフリーなんですか?とよくいわれるんですが、僕がフリーライダーで図書館やら大学やらで無料で金も払わずに学んだのだから、僕が生み出すプロジェクトやコンテンツはフリーで贈与するのは当然のことです。なんらえらくもなんともない。

結局、僕みたいな得体の知れない若者がいろんな大学内をフラフラできたのは、それぞれの大学に自治があったから。学生運動の成れの果てで、学生たちに自治が与えられ、その自由裁量の名の下に、いろんな社会実験が行われていた。※この大学自治が侵害され、縮小していくのが1995年のオウム地下鉄サリン事件という岸井さんの実感はよくわかるし、僕もその時代精神の変化の中にいた。へんなカルトにハマる先輩もめちゃくちゃいた。

まあ、やっている当人は社会実験なんて意識や意志もなくて、ただ欲望のままに、衝動やら直観やら情念に突き動かされ、その大部分はムダでムイミでムキドウでムチャクチャであったが、そういう試行錯誤をしないと、世の中に新しいリノベーションが起こらないという気がする。「新しき人」が生まれてこないという気がする。

自由区やら解放区やらコモンズやら。そういう場や時間や機会を作りたいというのがPARAの一つの狙いらしい。それを東京、神保町でやるのが個人的には面白い。なんせ神保町は日本近代の揺籃の地であるから。このまちは新しき人を作ってきた。

PARAは、ある種の原点回帰のようにも見える。地霊でもあるか。

※というわけでPARA、来期のカリキュラムが発表されたようです。新しき人、来れ!

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■PARA:陸奥賢・岸井大輔と5日でどこまでリサーチできるかな

https://paratheater.com/4881b04a31154cc7839591d20e814eb4

■PARA:共有をつくるには?

https://paratheater.com/65cecbf53e2a49b09c43b4321d5f4179

■PARA

https://paratheater.com/


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神保町。ランチョン。めちゃくちゃ美味。東京やなあ。こういう名店が残っているのが羨ましい。もはや大阪でも老舗の欧風レストランはなくなっていく。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

神保町。ランチョン。めちゃくちゃ美味。東京やなあ。こういう名店が残っているのが羨ましい。もはや大阪でも老舗の欧風レストランはなくなっていく。


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カトリック神田教会。聖フランシスコ・ザビエル聖堂。明治7年(1874)創設とか。神田の旗本の屋敷地を拝領して作られたとか。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

カトリック神田教会。聖フランシスコ・ザビエル聖堂。明治7年(1874)創設とか。神田の旗本の屋敷地を拝領して作られたとか。

武士階級は江戸幕府の崩壊でアイデンティティ・クライシスとなり、そのさいにキリスト教に帰依する者が多かったとか。主君から救主へ。わからなくもないですな。何か崇高なものに自分の人生を捧げたい。


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神田一橋。学士会館。東京大学発祥の地。東京大学はどうも本郷のイメージが強かったんですが、じつは神田から。

2023 年 3 月 17 日 Comments off

神田一橋。学士会館。東京大学発祥の地。東京大学はどうも本郷のイメージが強かったんですが、じつは神田から。

この辺りは江戸城の北側。武家屋敷、旗本だらけで。武家は、江戸時代は官吏、官僚ですから。じつは武官でもあるが文官でもあり、儒学などを熱心に学んでいた。元々、そういう文教の場所であったように思います。

神田、神保町の文化レベル、教養レベルの高さは、そういう土地柄に由来するという気がしてならない。近代以前からの伝統。土地の記憶。


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