The Awakening of Japan

西暦7世紀のはじめ。聖徳太子が「日出る処の天子」と隋に手紙を送り、そこから遣隋使、遣唐使・・・大陸との正式な国際交流が始まりました。最先端の大陸文化である仏教や冠位十二階といった官僚制度を取り入れ、長安、洛陽に習って平城京、平安京という都城制の首都が建築されます。しかし200年も経つと日本人は大陸から学ぶべきものがなくなり、菅原道真公の英断によって遣唐使を廃止します。これ以降、日本は独自の文化を発展、発達させます。大陸文化の漢字から「ひらがな」を考案して、そこから世界最古の長編小説『源氏物語』が生まれます。

16世紀の南蛮貿易でも同じようなことが起きました。当時もっとも革命的だったのが鉄砲、種子島の伝播と流通。戦国大名はこぞってこれを買い求めて製造にも着手。堺や長浜などが一大生産拠点になりましたが、家康が天下を収めて鎖国が完成すると、無用の長物となった鉄砲(火薬)は包丁や花火へと転換します。人を殺める恐ろしい武器が平和産業となり、割烹(日本料理)や花火という日本が世界に誇る文化・芸術となりました。

日本人は外国からの文明や文化、制度を受容すると、それらを取捨選択して、自分たちの嗜好に合うものに変容、昇華させてきた民族です。黒船以降の日本は西欧化(近代化、工業化、大衆化)の道を模索してきましたが、モータリゼーションや大量生産・大量消費、無責任な大衆社会といった弊害にも多くの日本人が気づいて、このままではいけないという危機意識を強く持っています。盲目的な西欧信仰から脱却して、それを柔らかく噛み砕いて、日本の古来のものとの融和が始まりつつある。「漢字」から「ひらがな」が、「鉄砲」から「包丁」「花火」が生まれたように。

岡倉天心は、こんな言葉を残しています。

昔から日本は、外国からの思想が殺到してきたが日本人は伝統を尊重し、みずからの個性を大切にしてきた。我々は今後もさらに西欧化していこうとしているが世界から尊敬を得るには我々自身の理想に忠実であることを忘れてはならない

天心は『THE BOOK OF TEA』を著して世界的な名声を博し、ボストン市民に深く敬愛された真のコスモポリタンでした。硬直したナショナリズムではなく、柔軟な和の精神を。その警句は、現代日本にも十二分に通用すると思っています。


2008年 6月 13日
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