大阪まち歩き大学「スケジュールと予約」ページ

2022 年 5 月 28 日 Comments off
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越境のための道具

2024 年 3 月 14 日 Comments off

昔は大家族だったから親・兄弟・親戚一同の中に「いろんな人」がいた。「エリート」や「出世頭」もいれば「どうしようもない奴」や「大変な人間」もいたりした。一つ屋根の下で暮らしてるから、そういう人間になる「事情」も見ていて、察していて、よくわかっていた。そういう複雑な家庭に育った人たちが世の中に出て社会を作るから、社会にも、ある種のキャパシティがあり、寛容さが担保された。

いまは少子化、核家族化で「身内」に「いろんな人」が必然的に少ない。ある意味、平穏・平安な家庭で暮らして世の中に出るから、そこで初めて「いろんな人」に出会って衝撃を受け、拒絶反応が出てシャットダウンしたりする。理解が及ばない。自分の中にはいない「他者」と遭遇してクラッシュしてしまう。そういう人たちが増えていくと必然的に社会そのものから寛容性が失われていく。

平穏・平安な家庭に生まれ育ったことは、とてもいいことです。それがダメなことだとは全く思わない。ただ、だからでこそ「いろんな人」「他者」に触れる(触れてしまう)機会をどのように担保するか?が非常に重要になってくる。そして、それは結局のところ、自分の環境、世界観からの「越境」ということになる。

越境のための道具がアートだったり、観光だったり、逍遥だったり、巡礼だったり、遊びだったりする。そういう道具をたくさん持っている人は、やっぱり、人間に幅がありますわ。おもろい。そして、やさしい。


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堺市役所。21階にて。さいとうたかを展

2024 年 3 月 13 日 Comments off

堺市役所。21階にて。さいとうたかを展。いつまでやってるんやろう?ずっとやってますが。

さいとうたかをの自伝などによるとゴルゴ13ことデューク東郷のモデルのひとりは堺の福泉町立中学校の恩師・東郷麿智夫という。近所でも評判の悪ガキだったさいとうたかをは、ある日、学校のテストを白紙で提出した。東郷先生はそれを一瞥して「これは君の責任で提出するのだからちゃんと自分の名前を書きなさい」と諭したという。

無回答の白紙を咎めるのではなくて記名することで覚悟を求めた。「人間社会の約束事」「世の礼儀」を初めて教えてくれたのが東郷先生であったと、のちにさいとうたかをは述懐している。

さいとうたかをの故郷の福泉の近くには信太山があった。ここは戦前は帝國陸軍の演習場であったが戦後は米軍が接収した(現在は自衛隊の駐屯地となっている)。信太山は米兵だらけとなり、その中の誰かが10セントブックスを山の中に捨てた。

10セントブックスは前線で戦う米兵のストレス解消、憂さ晴らしを目的としたもので単純明快なストーリーでアクション、バイオレンス、エログロが詰め込まれている。要するに頭を空っぽにしても読めるような低俗低級安価なペーパーブックであった。それを拾ったのが若き頃のさいとうたかをだった。

さいとうたかをは絵が描きたくて、しかし戦後間もない頃で家は貧しく、腹も減るし、紙もないので、もし米兵に見つかったら殺されるかも知れないという命懸けの思いをしながら信太山に密かに忍び込んだ。そして食べるものや紙を探したりしているうちに偶然、10セントブックスを拾い、その世界観に衝撃を受け、魅了された。

その後、さいとうたかをは、こども向けの漫画ではなくて青年、大人をターゲットにした「劇画」の作家としてデビューし、ついにはギネスも認める世界最長の漫画『ゴルゴ13』の作家として大成功を収める。その劇画の萌芽が、じつは信太山の名もなき米兵が捨てた一冊のペーパーブックだったというのは歴史の皮肉というべきか悪戯というべきか滑稽というべきか…。

アメリカの漫画文化の代表はディズニーだが、その薫陶を受けたのが手塚治虫。手塚治虫は祖父は司法官、父は住友のエリート社員で毎年、正月になると家族で朝日会館(朝日新聞の文化施設)でディズニー・アニメを観て高級レストラン「アラスカ」で洋食を食べていた…というような洗練されたブルジョワジーであった。さいとうたかをとは、大違いの出生である。

手塚治虫は戦後、日本の漫画文化の第一人者となるが、その手塚漫画に「あんなのはこどもの遊びですよ」とアンチを唱えたのが、さいとうたかをらの劇画集団であった。結果、手塚は虫プロの失敗・倒産などもあり、「終わった漫画家」扱いをされて辛酸を舐める。しかし青年漫画に活動の舞台を移し、「ブラックジャック」「火の鳥」「ブッダ」といった「劇画」で奇跡の復活を果たす。

手塚作品の初期の「アトム」「リボンの騎士」と、後期の「陽だまりの樹」「アドルフに告ぐ」などを見比べると、全くタッチが変わっていることに気づく。必死になって劇画の手法を学び、取り入れて自身の表現を進化させた。この辺が手塚の凄いところで、さすが「マンガの神様」ですな。

ディズニーと10セントブックスというアメリカ文化のハイカルチャーとローカルチャ―が手塚治虫の漫画とさいとうたかをの劇画の源流にある。ふたりとも大阪人であるが、手塚はキタの人(豊中、池田、宝塚)で、さいとうたかをはミナミの人(堺、和泉)で、大阪の郊外都市文化圏のコントラストがまた面白く、興味深い。


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堺・シマノ自転車博物館。博物館では散走の取り組みに詳しい神保さんにご案内頂き、いろいろとお教えいただきました。

2024 年 3 月 7 日 Comments off

堺・シマノ自転車博物館。博物館では散走の取り組みに詳しい神保さんにご案内頂き、いろいろとお教えいただきました。

散走の話よりも自転車の歴史、文化の話が主でしたが要するに散走という概念もポッと出てきた言葉ではないということでしょう。200年に渡る自転車の開発、発展、紆余曲折や試行錯誤、可能性の追求があり、その流れの中に散走という自転車文化の提唱があり、位置付けられている。博物館を巡って、よくわかりましたなあ。

いろいろと話をお聞きして、また、こちらもいわき時空散走の取り組みをご紹介させて頂きましたが、神保さんからは「面白い!」と太鼓判を押されたので、よかったなあと思いますw

堺といわきと。散走ネットワークで繋がりを模索したいし、新しいプロジェクトも起こせるのではないか?と思ってます。またオモロイことはじまったらいいますんでw お楽しみに!


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堺。シマノ自転車博物館へ!

2024 年 3 月 7 日 Comments off

堺。シマノ自転車博物館へ!

去年、ノレル?さんからご依頼を受けて、いわきで自転車によるコミュニティ・ツーリズムのプロジェクトを始めました。プロデューサーとしてプロジェクトにネーミングをつけましたが、それが「いわき時空散走」。

FAROのみなさんが「いわき平時空マップ」という取り組みをやっていて、さらに「散走」という言葉があるとノレル?のみなさんに教えられて、それを融合させたわけですが、この「散走」という言葉の出処が実は堺が誇る自転車メーカーのシマノさん。そこで散走について本家本元のシマノさんからお教え頂きたいということでノレル?の権丈さんと一緒に表敬訪問しました。

昔、大仙にあった自転車博物館はこどもの頃からよく通っていたのですが、リニューアルされたこちらのミュージアムは僕は初訪問。充実の展示で圧巻でした。自転車の未来は可能性に満ち溢れてますな。勉強になりました。


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玉水教会の裏手にある荒光稲荷大明神さん

2024 年 2 月 20 日 Comments off

大阪まち歩き大学。肥後橋を歩く。

肥後橋といえば金光教の玉水教会(そうなのか?)。いや、しかし玉水教会は奇跡の教会で、何が奇跡か?というと大阪大空襲で周りは完全に焼け野原になったのに、なぜか教会だけは無事であった。「新町から北はすべて焼け野原なのに、玉水教会だけがポツンと建っていた」という新町芸妓さんの回想の手記を読んだことがあります。

この奇跡を起こしたのが玉水教会の裏手にある荒光稲荷大明神さんという。ここのお狐さんは大空襲の時にやってきて見事に鎮火してくれたという。ほんまかいな?であるが実際に荒光稲荷さんの奉納画にその時の様子が描かれている。決して上手い絵ではないが味のあるテイストで好きですなあ。こういうの。

大阪大空襲だから当然、近代戦争ですが「空からお狐さんが飛来してきて救済してくれた」なんて不思議の話があるから面白い。


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中之島香雪美術館にて。刀と拵の美。

2024 年 2 月 20 日 Comments off

中之島香雪美術館にて。刀と拵の美。

村山香雪こと村山龍平は朝日新聞を日本有数の大新聞に発展させた最大の功労者であるが、元は和歌山・田丸藩士。武士出身者なだけに刀剣に対する思い入れは強い。本人の嗜好、趣味が走っていて美術品というよりも実用性を重視しているようなところがあって面白かった。

香雪はまず刀剣のコレクターとなり、やがて仏教美術、茶道具への興味関心に繋がっていったという。香雪美術館の原点として興味深い企画展でした。


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去年12月に「堺のことを教えてください」とON THE TRIPさんに取材をお願いされて「黄金の日日」をテーマにまち歩きをして、それが音声ガイドになりました

2024 年 2 月 20 日 Comments off

【ON THE TRIP】去年12月に「堺のことを教えてください」とON THE TRIPさんに取材をお願いされて「黄金の日日」をテーマにまち歩きをして、それが音声ガイドになりました。僕の名前は出てませんがw よろしければご視聴ください~m(_ _)m


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谷町九丁目駅から徒歩約30秒の駅近寺院(?)が藤次寺さん

2024 年 2 月 20 日 Comments off

谷町まち歩き。谷町九丁目駅から徒歩約30秒の駅近寺院(?)が藤次寺さん。日本最大の木彫の地蔵大仏が制作されたそうで、いまもまだ大仏殿を工事中。中を覗くと、でっかい地蔵大仏さんが確かにいらっしゃいました。大仏殿が完成したらまた改めてお参りしたい。

藤次寺さんはご本尊が如意宝珠融通尊なので、よく「融通さん」と呼ばれる。如意宝珠融通尊は宝生如来のことで、本来は五智如来の構成メンバー。東寺の五智如来(戦隊ヒーローみたいでカッコいい)が有名だが、宝生如来がご本尊の寺院というのは日本でも珍しいらしい。

「融通」というのは何を融通してくれるか?というとお金ですw 融通さんは「お金を融通してくれる」ので大阪人から篤く敬われた。とくに昔は節分の時には融通さんにお参りしてご本尊を写した「白のお写し」と「金のお写し」の護符を買ったらしい。

「白のお写し」の護符は、お金がない人が買う。ここに融通(お金)さんが来てほしいと財布の中に入れたり、家の中に貼ったりしたらしい。

「金のお写し」の護符はお金持ちが買った。「もうお金がどっかに融通しないように」(お金がでていかないように)と護符で金庫を封印したというわけです。

プロレタリアとブルジョアに合わせて護符を用意していた。ドライというかなんというか。大人ですな。大阪の寺院は。いまは残念ながら「お写し」の護符などはない。あくまで戦前の信仰です。売ってたら買いますわ。もちろん「白のお写し」ですがw


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豊中・岡町まち歩き。奥野家住宅。

2024 年 2 月 16 日 Comments off

豊中・岡町まち歩き。奥野家住宅。ご当主の奥野さんにご案内されて蔵カフェ「桜の庄兵衛」の2階を案内される。奥野さんは民芸にお詳しく、そのコレクションを展示しているとか。年始なので戎大黒、鶴亀といった縁起物が並んでいた。奥野さんはガラクタといいますが、日本の民芸のみならず、アジア、アフリカ由縁のものもあって興味深い。

どこでこうたりしてはるんですか?とお聞きしたら「天王寺さんの市ですわ」と。掘り出しもんが出るそうです。なるほどなあ。たまに僕も市をふらふら眺めたりしますが、こうたことはないなあw


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豊中・岡町まち歩き。大阪府建築士会さんからのご依頼で3/9にまち歩きをします

2024 年 2 月 16 日 Comments off

豊中・岡町まち歩き。大阪府建築士会さんからのご依頼で3/9にまち歩きをしますが、その下見。岡町のまち歩きは6年前にやっていて、僕も久しぶりなので、いろいろと再確認。二本松がなくなっていたのが痛かった…orz

畜魂碑はかつて豊中市営の屠場が岡町にあったことの名残。屠場は豊中村、豊中町の重要な財源であったという。牛にのったお釈迦さまが珍しい。

赤い屋根の家は山田洋次監督の生家。いまも個人宅として使用されている。山田洋次監督は2歳までこの家に住んでいたという。

原田神社はいまも地域コミュニティの要で、歴史は古い。ここは神社の森、社叢から弥生時代の銅鐸が出てきている。周りには桜塚古墳群があり、いつから神域であったのか。北摂きっての古社ではないか?と思う。


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