杜甫は洛陽で李白と会った。ベートーヴェンは「ハイリゲンシュタットの遺書」を記して自殺を考えた。家康は長篠の戦いに参加して戦国最強と謳われた武田騎馬隊が信長の火縄銃三段打ちで崩壊する現場を見ていた。近松は「出世景清」で初めて竹本義太夫のために執筆した。エジソンは白熱電球を発明。勝海舟は海軍伝習重立取扱となった。福沢諭吉はニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.を来訪。チャップリンは「キッド」を。ヒトラーはドイツ労働者党の総統に。ワイルダーは「青髭八人目の妻」に携わった。安吾は「吹雪物語」を刊行。
本日、32歳になりました。ええ歳にしたいですな。
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
ほんまに色々とあった1年でした。しかし、脇目もふらずに、ただ一直線に、全速力で走り抜けた・・・という感じでもあります。
今年は連日、雨の日も晴れの日も風の日も台風の日も大阪市内を歩き回って、68の大阪あそ歩のまち歩きコース、マップを作成することができました。来年は150コース作ります。みんなからは「正気の沙汰やない」とか言われてますが、まぁ、諸般の事情というのがありまして…ほんと、ぼくが倒れたら、みんな、あとは頼みますよ。冗談ですが(笑)
最近は「なんでそんなに必死になって150コースも?」とよく問いかけられるのですが、これは大阪あそ歩が、ほんまもんのコミュニティ・ツーリズムになるための絶対条件、必須条件でして。というのも150コースで、ほぼ大阪市内全域を、「エリア」(面)を、網羅することが可能と予測してるんです。ちなみにエリアではなくて「近松門左衛門の心中ものの道行を辿る」とか「幕末の事件を巡る」「大阪五低山を制覇する」といった「テーマ」という括りでまち歩きコースを作成していけば、これはもう無尽蔵にできていきます。大阪のまちのポテンシャルはほんとに驚異的です・・・。
いずれにせよ、来年は、大阪市内全域、どこででも大阪あそ歩が展開されることになります。これはつまり、どういう状況か?というと「”あなたのまち”に、大阪あそ歩のまち歩きがあります」ということなんですわ。大阪市民であれば、必ず、あなたの生活圏内に、大阪あそ歩のまち歩きが繰り広げられている。「まち歩きをしに、どっかのまちへお出かけしよう」ではないんです。あなたがいま、生活している日常の空間。子供のころの遊び場。学生時代の通学路。仕事をしている現場。普段と何ら変わらない、いつもの、何気ない、あなたのまち。自分のまち。そこが大阪あそ歩の主要舞台、メインステージとなる…150コースのまち歩き、というのは、そういう証明であり、宣言です。
また今年の秋は大阪あそ歩の参加者さんから「大阪あそ歩はようさんコース数があって、どこに参加したらええかわからんわ。どこのまちがええんか教えて」なんてこともよく訪ねられたんですが、「そんなの簡単です。あなたが住んでいる、自分のまちの大阪あそ歩から参加してください」。そういう風に言えるわけで、早く、そういう風に言いたいんですわ。そして、大阪あそ歩に参加してもらって、開眼してほしいんです。「自分が住んでいる、このまちは、なんて素晴らしいんだ!」と。
大阪あそ歩をやる意味って、そういうところにあります。「見知らぬまちがおもしろい」「どっかのまちがおもしろい」ではないんです。「自分のまちこそがおもしろい!」。すべての大阪市民に、自分のまちに対して、そういう認識、自信、誇り、プライド、愛を持って欲しい。
こういう風にいうと「自分のまちには何もない」という方もいるんですが、そんなことはありません!大阪のまちには、必ず、歴史や文化や物語やドラマがある。知られてないだけです。見えていないだけです。埋もれているだけです。実際に「自分のまち」は、めちゃくちゃおもしろいんです。まち歩きマップを片手に、大阪あそ歩のガイドさん、サポーターさんと一緒にまちを歩けば、それはもう唸って、夢中になって、知恵熱が出そうになるぐらい、オモシロイ。ウソやおまへん。その証明を今年1年かけて、大阪あそ歩はやってきました。これからもやっていきます。素晴らしいガイドさん、サポーターさんが、その事実をあなたに伝えてくれます。真摯に。誠実に。溢れんばかりの情熱をもって。ぜひ来年は「自分のまちの大阪あそ歩」に、ご参加してみてください。いろんな「気付き」があるはずです。それは、もう、世界が一変するほどの衝撃です。「観光」って「光を観る」と書きますが、本当に「光」が観えてきます。
最後に。2009年、大変な1年でしたが、大阪あそ歩ガイドさん、サポーターさん、事務局の皆さんのおかげで、なんとかやってこれました。苦しいことと、嬉しいことと、山あり谷ありでしたが、それこそが生きている証明だと、しみじみと想いながら、大晦日を迎えています。・・・ちょっと大げさですかね。まぁ、大晦日ですから許してください(笑) とにかく、今年1年お会いしたすべての方に、ただただ感謝。心から。本当に、ありがとうございました。来年も是非ともよろしくお願いします。
2009年12月31日 むつさとし拝
年末最後まで仕事の予定でしたが、意外と早よ終わって、ちょっと余裕が出来たので、車に乗って、日本最古の官道・竹内街道を使って、堺から太子町、二上山、明日香村、三輪山まで行ってきました。
途中で、誉田八幡宮、応神天皇陵、叡福寺(聖徳太子墓)、科長神社、小野妹子墓、橿原神宮(神武天皇墓、畝傍山)、亀石、甘樫丘、入鹿の首塚、三輪神社、狭井神社なんかをブラブラしてきました。河内王朝、飛鳥王朝、三輪王朝を訪ねる旅です。ほんとは久しぶりに箸墓古墳、巻向遺跡も見たかったんですが、そこに辿り着くまでに、日が暮れてもうてアウト。残念!
写真は甘樫丘にて。蘇我一族の夢の跡ですな。後方の山が大和三山の畝傍山です。その麓が神武天皇陵で、橿原神宮。
「大和は國のまほろば」。良い気分転換になりました。
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最後は人事を尽くして天命を待つの心境。それしかない。
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最近、よく電車で駅を乗り過ごします。乗り過ごすどころか、ひどいときは反対方面の電車に乗ります。
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式内社(名神大)・河内国一宮・官幣大社・別表神社の枚岡神社。朔日祭ということで、中東宮司さまとの直会にご参加させていただきました。素晴らしい御社でした。
枚岡神社は、社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)に天種子命(あめのたねこのみこと)が、神津岳に祖神・天児屋根神を祀ったのに始まるとか。この神津岳が平らな丘であったことから「平岡(枚岡)」という社名の語源にもなっているようです。
天児屋根神といえば中臣氏(のちの藤原氏)の氏神さまですが、しかし記紀神話によれば、神武天皇が東征したさいは、このあたりは天孫族ニギハヤヒが治めていた地帯でした。このニギハヤヒは物部氏の氏神さまですから、枚岡神社界隈は、元々は中臣氏ではなくて、物部氏の所領地であったのかも知れません。物部氏が蘇我氏・中臣氏との争いで没落してから、その所領地を中臣氏が治めることになったのでしょう。ちなみに枚岡神社の所在地を見てもらうと一目瞭然ですが、ここは難波宮(上町台地の北端・現在の大阪城付近)と平城京の東西ライン上にある神社で、ここを押さえれば、難波と奈良を手中に入れたも同然という地政学上、非常に重要な地点になります。
「物部氏との争いに勝利しますように」という聖徳太子の戦勝祈願によって四天王寺が建立されたように、(ぼくは四天王寺以前の古墳=「荒陵山」も物部系の所有地だったのでは?と推測しています)、物部氏と蘇我氏の権力闘争は、古代大阪の都市形成に、非常に大きな痕跡、影響を与えています。
夕方に室堂に入って、山小屋で雑魚寝したあと、早朝3時半に起きて御前峰に向かって登り始めました。約1時間ほどで山頂に到達。吹きすさぶような山風に、気温10℃を切るような寒さの中で、じっと待つこと40分。東に見える、北アルプスの山々の頂きの彼方から、矢のような強烈な光を放ちながら朝陽が登ってきました。驚くほどに、美しい御来光。呆然とするぐらい圧巻でした。
記念撮影!ということで、
大阪あそ歩の旗と一緒に。「大阪あそ歩登山隊」が日本三大霊峰・白山に登頂した瞬間です(笑)
お盆休みをいただいて、大阪あそ歩の茶谷チーフプロデューサーと一緒に白山に登ってきました(参考リンク:白山 - Wikipedia)。
白山は標高2702メートルで、日本百名山のうちの一座です。古来から富士山、立山とともに日本三名山(三霊山)と呼ばれていて、山頂は加賀一宮・白山比咩神社(参考リンク:白山比咩神社 - Wikipedia)の奥宮にもなっています。
白山比咩神社は、社伝によれば、崇神天皇7年に手取川の要に位置する舟岡山に「まつりのにわ(祭を行なう場所)」として祀られたのが神社の始まりとか。当時の白山は霊山として入山禁止でしたが、養老元年(717)に泰澄和尚が神の啓示を受けて入山したところ、十一面観世音菩薩が現れて、それを伝え聞いた元正天皇が白山山頂に神社(奥宮)を創建しました。以後、日本全国各地に白山信仰が広まって、全国2000余社の白山神社の総本社です。
古代に大陸からやってきた渡来人たちは、船で日本列島にやってきます。命がけの航海をして、日本列島に近づいていくと、まず真っ先に見えてくるのが山の頂です。島根県の大山に向かって船を進めると到達するのが出雲国で、白山に向かって進むと越国にたどり着きました。どちらも渡来人たちの海上交通の目印、道しるべとなった山で、「霊峰」として尊ばれたのは、そういった歴史的背景があります。
ちなみに白山比咩神社のご祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)。日本書紀によればイザナギとイザナミを仲直りさせた神で、縁結びの神とされています。渡来人の海上交通の目印となった山が「括りの神」「結びの神」として祭られたのは、なかなか意味深な話です。
花の山としても知られていて、高山植物の宝庫。じつに美しい山でした。
憧れだった壱岐の月讀神社にいってきました。アマテラス、スサノオと並ぶ、三貴子のうちの一柱、ツクヨミさんの総本社です。
ツクヨミさんといえば、京都・松尾にある月読神社が有名ですが、日本書紀によれば、顕宗天皇3年(西暦487年)に、阿閉臣事代が任那に遣わされたさいに、壱岐で月読尊の神託があったので、これを天皇に奏上して、山城国葛野郡歌荒樔田の地に神領を賜って、壱岐県主・押見宿禰に祀らせた…というのが創建の由来とされています。要するに、壱岐の月讀神社こそが日本全国の月読神社の元宮というわけですな。
また押見宿禰の子孫(壱岐氏)はのちに「卜部氏」と名前を変えて代々、神祇官(神職)をつとめたそうで、大和王権に神道が根付くきっかけを作りました。壱岐・月讀神社は、日本神道の名門・壱岐氏の祖霊社なので、「神道発祥の地」とも呼ばれています。創建年代については不詳ですが、京都・松尾の月読神社が西暦487年に勧請されたので、少なくともそれ以前で、日本でも最古級の神社ということになります。
昼というのに、なぜか薄暗く、すこぶる厳かな雰囲気で、神秘的な神社でした。ひとことで言うと、ぼくはツクヨミのリアルさに心打たれました。原始的ですが、真摯で誠実な古神道の、「ほんまもんの信仰」がここにはあります。壱岐のツクヨミは、決して、記紀神話の中空構造のような、無為な神ではありません。
色々と考えさせられる神社です。もっともっと知られて良い神社です。参りました。
緒方洪庵は本業は医者で、適塾はだから医学塾なんだけど洪庵は珍しい蘭学医者だったので、後年は語学塾としての傾向が強い。語学や言葉を学ぶことは西洋思想そのものに触れることに他ならないから時代の養成もあるが適塾の塾生の綺羅星のごとくの活躍、人材のバリエーションの豊かさは群を抜いている。
適塾の門下生。日本陸軍の父ともいわれる大村益次郎、外交官として活躍した大鳥圭介、衛生学の泰斗長与専斎、思想家の福沢諭吉、官僚の花房義質、赤十字を作った佐野常民、手塚治虫の祖父で医師の手塚良庵など、じつにバラエティに富む。
松下村塾はまた3年の短さだが、適塾は24年続いている。また松下村塾はほとんどが長州藩出身者だが、適塾は北海道から九州まで、広く門下生が集まっていた。その数は3000人を越える。年間に100名以上の門人を受け入れて、輩出したことになる。
適塾にしろ、懐徳堂にしろ、絲漢堂にしろ、先事館にしろ、思々斎塾にしろ、洗心洞にしろ、真空館にしろ、青山社にしろ、すべて「私塾」で。大坂人は、自分たちで独立独歩で運営していた。日本全国に「藩校」というのはありましたが、「私塾」なんてのはなかなか出来ません。
藩校で勉強するのは儒学であって、でも大坂の私塾は、儒学もあれば蘭学、医学、漢学、天文学、和算など、ごった煮のグチャグチャ。各自が各自のやり方で自由闊達にやりたり放題やっていた。
とくに懐徳堂なんかは「鵺学」といわれた。妖怪の鵺(ぬえ)みたいな学問。縫えは顔は猿で、胴体は狸で、手足は虎で尾は蛇。要するに「キメラ」ですな。意味わからん学問をやっていて「あそこは鵺学や」といわれていた。藩校ではこんなことはまずありえない。
でもその鵺学の懐徳堂から、哲学の根源理論を看破した加上論の富永仲基や、宇宙モデルを説いた唯物論者の山片蟠桃といった大天才が登場してくる。
江戸時代の大坂は、まず間違いなく、日本最大の学問都市で、文教都市であったといえる。来年は緒方洪庵生誕200年記念ですが、この知の系譜はもうちょっと省みられても良い。
銀座・ルパンにいって、空いてる席に座ったら、そこが「安吾席」でした。マスターに教えてもらって気づきました。
記念に目の前のランプを撮影。上の安吾の写真と見比べてみて下さい。ランプの形状が一緒でしょ?(笑) 偶然ですが、嬉しかったなぁ~。
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
記紀神話の中では、「三貴子」として、アマテラス、スサノオと比肩する偉大な神なのに、まったく無為の存在として描かれているのがツクヨミ。それを捉えて、日本人の心性を解き明かそうとしたのが河合隼雄氏の名著「中空構造日本の深層」。
「中空が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである。」
「わが国が常に外来文化を取り入れ、時にはそれを中心においたかのごとく思わせながら、時がうつるにつれそれは日本化され、中央から離れていく。しかもそれは消え去るのではなく、他の多くのものと適切にバランスを取りながら、中心の空性を浮かびあがらせるために存在している。」
セイゴー氏は「いささか性急な思いつきでは?」と諫めていたりもしますが、こうした思いつき、直感的な提言というのはぼくは嫌いではありません。ときにインスピレーションは万巻の書物よりも真理を照射します。
ツクヨミは伊勢・内宮別院、外宮別院、京都・松尾大社などに祭られていますが、総本社は壱岐の月讀神社。じつは来週ですが、とある仕事で壱岐に行くことになりまして。いろいろと壱岐の名所を巡るのですが、ぼくが最も気になっているものの1つが、この壱岐の月読神社なんですわ。
中空構造の神は、果たして壱岐においても中空的存在であるのかどうか? 壱岐島民にとって非常にリアルな、実存的な神として信仰されているのであれば、いつ、ツクヨミは記紀神話の体系に組み込まれて、奇妙な中空的存在となったのか?
日本人の心の深層が形成される過程や経緯を解き明かすカギが、壱岐の月読神社にはあるのかも知れません。
Author: 陸奥 賢 Categories: 本, 雑感 Tags:
式内社(名神大)。出雲国一宮。官幣大社。勅祭社。別表神社の出雲大社に正式参拝させていただきました。写真は古代神殿心御柱。
「1930年代の日本は工場労働者の勤続年数が短く、労働力の横転率(同じ職種で会社を変る率)の高い社会であった。ところが、戦後の改革と高度成長がすべてを変えた。中でも重要なのは終身雇用と年功賃金体系の定着である。」 平成12年度・国民生活白書。
終身雇用と年功賃金体系というのは、じつは戦後に完成した日本式経営だということ。
人は自分の仕事に倫理を持つべきであって、資本追求型の会社組織に盲目的な忠誠などいらない。会社人間ではなく、仕事人間であるべきだ。
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
6月13日、14日と仕事で東京にいってきました。東京駅、有楽町、銀座、新宿、歌舞伎町、阿佐ヶ谷あたりを歩いたのですが、とくに面白かったのが阿佐ヶ谷のラピュタ。
※ラピュタ阿佐ヶ谷
http://www.laputa-jp.com/
1998年にオープンした約50席というミニシアターだそうですが、外観がユニークで、なによりも上映されている映画が「通!」なんですわ。ぼくがいったときは山中貞雄監督の特集が上映されていました。
※役に立つ山中貞雄
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/yamanakasadao/
いまは観光、まちづくり系の仕事をやっておりますが、ぼくは10代の頃は映画青年で、TSUTAYAに日参してビデオを借りまくって、映像の世界に憧れた時代もあるんですわ。当時はかなり趣味が偏ってまして(いまも偏ってますが。笑)「映画は白黒や!」というのが持論で、ヒッチコック、ワイルダー、ホークス、ルビッチ、黒澤明、小津安二郎、溝口健二など、要するにクラシック・ムービーばかり見ていました。なかでも鮮烈に心に刻まれたのが山中貞雄の「人情紙風船」と川島雄三の「幕末太陽伝」で、この2つの映画と出会ったときは衝撃のあまり熱がでました。人間って凄い映画とか小説、音楽を体験すると、倒れます。
今回は仕事の都合もあって、阿佐ヶ谷に長居することができなかったので、山中貞雄特集は見れなかったのですが、関東圏に在住の方はぜひともこの機会に見ておいてください。なかなかスクリーンで見ることができませんし、これは日本映画の至宝ですから。ちなみに大阪にもシネ・ヌーヴォとか、第七藝術劇場といった素晴らしいミニシアターはあるんですが、東京ほどの数ではないようです。
http://www.cinenouveau.com/
http://www.nanagei.com/
町中のふとしたところにミニシアターや劇場があるというのは、東京の素晴らしい魅力ですわ。阿佐ヶ谷。もう一度、行ってみたい町です。
たまたま。なんとなく。ひょんなことで。ぼくはそういう偶然を尊重する。
神計らいなんて言葉もある。なにもかも神計らい。
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
弥山のあとは八経ヶ岳へ向かいました。
八経ヶ岳山頂です。標高1915メートルは近畿最高峰になるとか。
大峰山は、深田久弥氏の日本百名山に選ばれていて、紀伊山地の霊場と参詣道として、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
31年の人生で初めての「日本百名山」踏破でした。目指せ、残り99山(笑)
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
散文は詰め込みすぎると悪文になる。詩文は詰め込むことで良文となる。
Author: 陸奥 賢 Categories: 雑感 Tags:
大阪の最大の武器は人。ヒューマンウェア。権威も権力もこのまちは歯牙にかけない。ただただ「ほんまもん」が必要とされる。そういう意味ではわかりやすく、生きやすい。