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Entfremdung

2008 年 12 月 21 日

米国第4位の証券会社が破綻して、ビッグ3もやばいとか。アメリカ経済の構造不況は日本以上に深刻なのかも知れません。

しかし相場、株価というのが、実体経済を反映しているか?というと必ずしもそうじゃないんですよね。「景気」って言葉には「気」という漢字が入ってますが、世間が強気になれば値は上がるし、弱気になると値は下がる。気の持ちようでいくらでも値が動くのが相場、株価の怖いところです。時代の「雰囲気」で資産、資本が決定される。紙幣が所詮「紙きれ」に過ぎないように結局、資本というのは「うろんなる存在」であるわけです。その目減りにあくせくすることの不毛さ。

最近、マーケティングやマネージメントの世界ではバーター(物物交換)が見直されているそうですが、生産物と生産物とのあいだに紙幣という「うろんなる代替品」をはさむことによって、自分のライフ(生。生き方)を見失っているのが、現在の人間社会の哀しさです。大事なのは生産物であるはずなのに代替品を集めて喜んでいる。

このことは、ぼくが言い出すまでもなく、カール・マルクスが資本論の中ですでに言ってます。「疎外」という言葉を用いて警告してます。農業、林業、漁業といった自然界に働きかけて生産物を取得して生きていた時代では、自分のライフが明確に見えていたわけです。一粒の稲。それを作り、育てて、食べて、生きる。自分のライフは自分の手で作り上げている。

ところが自然界と共存して生産物を作るのではなく、その中間マージンのみを搾取するような職業が生まれてくると、自分の人生というのは生産物、土地、自然というものから、どうしても離れてしまいます。帳簿をみて、それに文字や数字を書き込んで、それで資本という「紙きれ」を頂く。こんなことを続けていては、自分がなにをしているのか、さっぱりわからなくなってしまう。太古の時代から続く自然のサイクルから我々のライフが「疎外」されてしまっている。

マルクスだとか資本論だとかいうと色々と誤解されそうですが、しかしぼくは反・資本主義者でも共産主義者でもありません。ただ、資本に支配されていると自分のライフを見失うことに危機意識を覚えようとは思っています。どうすれば、自分のライフを、自分のものに出来るのか?これはぼく自身が生きていく上での1つの命題です。

米国の証券会社がどんどん潰れていって、それで日本の株価もどんどんと下がる。路頭に迷う人も大勢出てくるでしょう。自殺する人だっているかも知れない。しかしこれは政治や経済や体制や時代が悪いのではなく、自分のライフを生きていないと、人は誰でもそういう状況下に陥るということだと思ってます。

いわば哲学の問題なんでしょう。資本に隷属しない生き方を見つけないといけません。


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