イベント学会 キンサロIN大阪

http://eventology.org/1/2008_12_25_archive.html

行ってきました。ぼくはイベント的発想やイベント的現象に懐疑的で、なんでもかんでもイベント化しつつある社会に危惧を感じます。イベント化とは端的にいえば一過性です。一過性はまた無責任と表裏一体です。

歴史や文化、文明は水平軸の存在です。連綿と続いて、連続して、持続発展していくサスティナブルなものであるのに、それを垂直型に唐突に割り込もうとするのがイベントです。一時的には、社会のある一面を極端に照射しますが、それが社会の土壌に根付くことは非常に難しい。イベントは常に一過性で終わる。だからでこそイベント(出来事)といいます。

例を出します。ぼくは民主主義を信じています。しかし民主主義を実現するための「選挙制度」には懐疑的です。選挙制度は何月何日に立候補者が公示されて、何日間か選挙演説を行って、投票日になると有権者が投票行為を行って、多数票を獲得したものが政治家という立場で民主政治を代行します。アメリカ大統領選挙のような長期間行われる選挙制度もありますが、基本的にはこれは一過性の現象でイベントといえます。

近代の議会制民主国家の多くは、選挙制度というイベントの結果で民主政治を実現しようとしてきました。しかし、それで果たして民主政治をどれだけ実現することができたのか?新聞の内閣支持率調査を鵜呑みにするわけではないですが、それでも支持率15パーセントの首相が存在するのはどこかシステム、制度として欠陥があるのでは?と思わざるをえません。

オバマ氏がアメリカ大統領に選ばれましたが(現在80パーセント近い支持率だそうですが)、大統領の任期期間は「4年間」で、この4年間が、じつは一過性です。また大統領選挙でも支持基盤向けに大げさなリップサービスや、明らかな利益誘導、大衆迎合のパフォーマンスが行われました。オバマ氏を攻撃するわけではないのですが「チェンジ!」は公約でもなんでもないです。なにもいっていないに等しい。これはただの選挙向けのパフォーマンスです。それに大衆が踊らされて雰囲気や勢いで大統領が決まる。一歩間違えれば恐ろしいことと思いませんか?

要するに「選挙制度」や「任期」というイベント的発想や手法が民主主義を歪めてしまっているんです。ぼくが基本的にノンポリであるのは、こうした政治システムに対する根底的な疑問があるからです。現在の政治はイベント的事象であって、ぼくらが生きる大地(社会、歴史、文化、文明、宗教、地域、家族、血縁、地縁)に根ざしたものではない、という思いがあるからです。ぼくらはぼくらのやり方で、民主主義社会を実現しないといけません。その方法論は選挙や任期といった政治システムの改良ではなくて、政治という範疇を凌駕する「まつりごと」だろうとぼくは思っているのですが、さて、では「まつりごと」とは一体なにか?…この話をすると滅茶苦茶長くなるので割愛します(笑)ただ、ぼくはいま真剣、必死になって「まつりごと」をやっていきたいと思ってます。まじめに。そして多少の遊び心をもって。

なんでもかんでもイベント化する現象は今後も続いていくようです。既存社会が閉塞的状況に陥っているので、それをイベント的手法で誤魔化そうとする人々があまりに多いからです。しかしイベント的手法で社会を変革することは不可能で、むしろ事態は悪化していく一方でしょう。自民党がダメだからと民主党に政権を任せても、おそらくあまり事態は変わらないです。イベント(選挙制度)に期待してはダメなんです。ぼくらのライフは、誠実に、一歩一歩、日々を積み重ねていくものだから。親から子に伝わるような、遺伝子のような、「まつりごと」を残さないと。

以上は、イベント学会に参加して、名だたるイベンター、イベント・プロデューサーの方々と話をして思ったことです。皆さんも同じような危機意識はお持ちのようでしたが。


2009年 1月 27日
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