大阪日日新聞「澪標」のコラムです。
いよいよ「大阪あそ歩’10春」のホームページ(http://www.osaka-asobo.jp/)がオープンして予約受け付けを開始しました。4月10日から6月6日まで、大阪市内で105コースのまち歩きと、5プログラムのまち遊びを実施します。パンフも完成してJR、地下鉄、各私鉄の駅、大阪市の公共施設などで配布されますので、ぜひ手に取ってご覧ください。
さて、今回は、大阪あそ歩のまち歩きの中身についてお話しましょう。まず、大阪あそ歩のまち歩きには必ずコースマップが付きます。駅改札やバス停留所など、公共交通機関をスタート地点として、十数カ所のまち歩きスポットが、イラストと解説文で記されています。平均1コースは約2~3キロ程度で、徒歩約40分ほどの距離なのですが、大阪あそ歩では、このマップを片手に、ガイドさんの話を聞きながら、2時間から3時間ほどかけて、ぶらぶらと、まちを巡ります。
健康づくりのウオーキング企画などでは5キロ、15キロ、40キロ(!)をひたすら歩いたりしますが、大阪あそ歩は長距離は歩きません。またウオーキングは50人、100人、300人といった大人数の参加者を募集しますが、大阪あそ歩は15人定員です。
これはなぜか? といいますと、大阪あそ歩は「大阪のまちを体感する」ことを目的とするからです。大阪のまちの雰囲気を、色を、匂(にお)いを、音を、感じてほしい。そのためには、わずか2~3キロの距離を15人の少人数で、ガイドさんと一緒になって、じっくりと、ゆったりと、歩くことが必要になるわけです。しかし、こうすることで、確実に、まちの見え方が変わってきます。
残念ながら、いま、まちというのは、資本を消費するだけの空間になっています。例えばコンビニに行って商品をレジに差し出すと、「ピッ!」とバーコードを読み取られ、お金を差し出せば、一言も口を開かずに何でも買えてしまう。経済効率を最優先すると、まちに、人間らしい温かみが急速に失われていきます。
しかし大阪あそ歩では、まちに根付いた店を、まちのガイドさんと一緒に巡りますから、自然とそこに、ふれあいや交流、会話が生まれます。「なにしてんの?」「大阪あそ歩いうんでまち歩きのガイドしてんのや」「あ。そう。ところで○○、元気?」…。大阪あそ歩では、こうしたガイドさんとまちの方が、たわいのない会話を繰り広げるという光景が多々あるのですが、それを参加者が共有することで、まちの濃厚な物語が見えてくるのです。
まちというものは、本来は、こうした人間のふれあい(共同体=コミュニティー)で成立しているものなのですが、それが忘れ去られている現実があります。
しかし、大阪あそ歩に参加すると、まちに、コミュニティーに住む人々の息吹のようなものが感じとれて、そこが「おもしろい!」となるわけです。
このおもしろさは、なかなか言葉では伝えにくいものですが、一度、参加すると、それはもう病みつきになるぐらいおもしろいのです。
今日は廃仏毀釈の日です。正確には明治新政府が慶応4年3月13日(1868年4月5日)に出した「神仏判然令」。天皇の名の下に、神道を国教化しようという下準備で実施された愚行です。寺塔や伽藍、仏像、仏画、仏経典などを有無を言わさずに破却・焼却。とくに酷かったのが明治政府を主導した薩摩藩で、鹿児島にあった1616の寺院は、このとき、すべて破壊されて全滅した・・・といいますから恐ろしいですな。この世紀の蛮行のおかげで鹿児島県は、いま日本でももっとも文化財が少ない県です(ちなみに梅原猛氏などは「明治の廃仏毀釈がなければ現在の国宝は優に3倍はあったろう」と考察してます)。
寺院密集地域の奈良でも激しい廃仏毀釈運動が巻き起こりました。有名なのが奈良の興福寺の廃仏毀釈の話。興福寺といえば、藤原氏の氏寺で南都六宗・法相宗の大本山。これが明治新政府から送られてきた「今日から仏教は廃止。僧侶はクビ。春日大社の神官になれ」という、たった一通の手紙によって、みんな春日大社の神官に鞍替えしてしまいました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA
いまユネスコの世界遺産認定で、国宝の五重塔も、一時期は25円で売られました。こんなのを買ってどうするのか?というと、なんと「薪」にするため。事実、興福寺の僧侶たちは、自分たちが長年、拝んでいた仏像を薪にして風呂を沸かして「仏風呂」なんていってたそうです。幸いなことに買い手が出なかったので五重塔は薪になることはなかったのですが、他の寺院は悉く「仏風呂」にされてしまい、ボロボロになった興福寺境内は、いま奈良公園です。あの鹿が群れをなしている広大な奈良公園は、廃仏毀釈によって崩壊した興福寺境内跡を整備して出来たものです。
兵隊に囲まれて信仰を捨てろといわれたわけでもなく、僧侶が殺されたわけでもなく、たった一通の政府の手紙で、自分たちの信仰対象である仏を捨てた興福寺。なんとも奇奇怪怪、摩訶不思議な話ですが、そういう風にして数多くの奈良の名刹・古刹が自滅してます。結局、明治新政府の権威・権力に奈良人は弱かったんでしょう。これは奈良人の性向かも知れません。
こういう廃仏毀釈に対して「アホちゃうか」と反逆したのが大阪人でした。大阪は日本仏教最初の官寺・四天王寺や蓮如上人ゆかりの大坂本願寺の歴史と伝統を有している日本でも有数の仏教都市で、かつ、お上のいうことには基本的にアンチテーゼですから(笑)中には住吉大社の神宮寺(※1)のように廃仏された例もあったようですが、それでも大阪人の多くは廃仏毀釈を鼻で笑いました。その証拠として大阪府は現在、日本で2番目に寺院が多い都道府県です(1位は愛知県4111。大阪府は2993で2位。3位は兵庫県2854。4位は東京都2672。5位は京都府2643。奈良は19位で1415)。大阪府は非常に狭い都道府県(愛知県は大阪府の2.7倍の大きさ。兵庫県は大阪府の4.6倍の大きさ)なので、面積比で考えれば「大阪こそが日本最大の仏教都市である」といっても何ら過言ではありません。
実際に、大阪のまちを歩いていて、ちょっとした路地裏に入ると唐突に、小さなお寺がひょっこりと顔を出します。廃仏毀釈や戦災を超えて、まちに根付いている。地蔵、祠なんかも非常に多いです。ぼくなんかは大阪のまちの面白さは寺の数の多さ、その多様性にあると思ってます。もっともっと、大阪の寺は着目されてええと思いますな。
(※1)島津藩の始祖・島津忠久公(父・源頼朝 母・丹後局)は住吉大社の境内で生まれ、また関ヶ原で負けて敵中突破をした島津義弘を無事に鹿児島まで船で送ったのも住吉と堺の町衆でした。江戸時代では参勤交代の折には、島津の歴代藩主は必ず住吉大社に参拝していて、住吉と薩摩は非常に縁が深い。住吉大社が神宮寺を廃仏毀釈したのも明治政府(薩摩)との特別の仲があったからでは?とぼくは推測してます。
兵庫・大輪田泊の岩椋です。兵庫津を開拓した平清盛時代のものか・・・と思いきや、なんと古墳時代のものとか。大輪田泊は天然の良港だったそうで、古代から栄えていたんですな。三韓、大陸、大和朝廷とを結んだ交易では、こうした岩椋で船を結びました。
面白いのが、大和田泊の「泊」(とまり)という言葉で、じつは「泊」というのは自然港のことだそうです。人為で改修した場合は「津」(つ)といいます。こういう「泊」というのは古代の大坂にはありません。難波津も、住吉津も、桑津も、猪飼津も、玉津も、敷津も、磯歯津も、木津も、すべて古代の大坂人や渡来人たちが、自らの力で改修した人工港でした。大阪というまちは、淀川、大和川という二大暴れ川を有してますから、有史以来、ずっと港の開発、改良の繰り返しの歴史でした。悪戦苦闘して港町、水都としての繁栄を築いたわけです。
兵庫、神戸は、そういう意味では非常に恵まれていました。しかし恵まれていたが故に、「港を整備していく」という重要性が、いまいち解らなかったのかも知れません。とくに戦後の関西国際空港の神戸港誘致反対と、その後の急転直下の神戸空港開港と失敗は、その歴史の哀しい証左ではないか?という気もしています。関西経済全体のことを考えると、非常に残念な結果でした。
大阪日日新聞記事より。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/100305/20100305027.html
大阪市の平松邦夫市長は2月27日、市内のまち歩きを楽しむ企画「大阪あそ歩」のガイドら11人を市役所に招き、「市民参加型の大阪の魅力発信について」をテーマに意見交換した。市民との直接対話でニーズを把握するとともに、市政への理解を深めてもらい、市民協働を基本とした市政運営を目指す「なにわ元気アップ会議」の一環。
「大阪あそ歩」は「大阪はまちがほんまに面白い」を合言葉に大阪市民と来訪者が一緒になってまち歩きを楽しむ企画。まちを愛する個性的なガイドとの対話が人気で、昨年25コースでスタートし、4月には105コースへと拡大する。
平松市長は「市民自らがガイドをすることは市民協働の精神と同じくするもの」と同企画の活動を歓迎し、市の重点施策としてサポートすると意欲を見せた。
ガイドからは「子供たちが参加しやすいようにしたい」「まちをよく知れば、自分たちのまちに誇りを持つようになる」「いろんな能力を持った人やものが複合的につながっていく」といった要望や意見が次々と出され、大阪のまちの資源の豊富さや可能性が再確認された。
全世界に「将棋」と似たような盤ゲームというのが存在します。自陣と敵陣に分かれて王を筆頭にして、それを守る駒が大勢いる。西洋であればチェス、インドであればチャトランガ、中国であれば象棋です。しかしチェス、チャトランガ、象棋にはないのに、日本の将棋にだけあるルールというのが存在します。それが「敵の駒を取ったら、それを自分の持ち駒として再利用できる」 という「持ち駒」ルール。
盤ゲームは戦争の象徴です。チェス、チャトランガ、象棋、将棋には、それぞれの民族の、戦争に対する思想が含まれます。西欧やインドや中国では、戦争といえば根絶やしの戦争でした。異民族の争いで、まさしく弱肉強食の生存競争。生きるか死ぬかの瀬戸際。敵は徹底的に滅ぼさないといけない。敵の駒を取れば、必ず殺す。それを再利用なんてことは不可能です。
しかし日本人の戦争はそうじゃなかった。極東の島国という小さいフィールドで、同じ民族同士の争いがメイン(過去には蝦夷との争い、白村江の争い、元寇なども稀にありましたが)。敵の駒を取るということは敵将を殺すことを意味せずに「捕虜にする」ことを意味したわけです。捕虜はまた説得すれば味方になる。だから持ち駒として、自陣の駒として再利用することができました。
面白いもんで、チェスやチャトランガ、象棋の世界では、たとえ世界チャンピオンでもコンピューターの人工知能と戦うと負けます。ルールが単純なんですな。駒はいっぺん取ったらおしまいですから。
しかし将棋というのは、取った駒を新たに再利用できるというルールがあるために、ゲームの行方は、非常に複雑怪奇な様相を見せます。持ち駒をどこに置くか?その派生パターンは無数に広がっていく。なにが最適手かわからない。それゆえに、いまだにコンピューターの人工知能でも将棋指しのプロ、ましてや名人級には勝てません。いずれ勝つといわれてますが、まだまだ数年はかかりそうです。
ちなみに、GHQが日本を占領していた時期に「将棋は捕虜(持ち駒)を虐待する野蛮なゲーム」として廃止しようとしたことがあります。このときに将棋指しの升田幸三がGHQに乗り込んで「チェスは捕虜(駒)を殺害してるが将棋はちゃんと生かしてる」「男女同権というがチェスはキングがクィーンを守れへんやないか。野蛮なゲームはどっちや!?」とGHQに直談判して将棋を廃止から救ったという話が残ってます。えらい。さすが阪田三吉の愛弟子・升田幸三。大阪の将棋指しの誇りです。
なにはともあれ、全世界に将棋と似たような盤ゲームがあります。しかし日本の将棋のような「敵陣の駒を自陣の駒として利用できる」というルールはないということ。この特色は日本民族の特異性として覚えておいた方がええかも知れません。戦争(生存競争)は苦手。しかしゲーム(遊び)は得意。
【報道発表資料】「大阪あそ歩(ぼ)’10春」がいよいよ始まります!~大阪は‘まち’がほんまにおもしろい!~
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/yutoritomidori/0000070255.html
大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会(構成団体:大阪市、大阪商工会議所、水都大阪2009実行委員会、(財)大阪観光コンベンション協会)では平成22年4月10日(土)から6月6日(日)まで“まち歩き”や“まち遊び”で大阪を楽しむ「大阪あそ歩(ぼ) ’10春」を開催します。この春は、「まち歩き」105コース、「まち遊び」5プログラムの充実した内容になります。
「大阪あそ歩」は、「大阪は‘まち’がほんまにおもしろい」をキャッチフレーズに、市民自らがガイドとなり、地域の人たちが大切にしている街の表情を紹介しながら、「自分のまち『大阪』はええとこや」と自信をもって、訪れる方々をご案内する取り組みです。
多くの市民の方々と協働し、一昨年秋の試行実施、昨春・秋の本格実施と実績を重ね、好評を得てまいりました。また、参加者だけでなく、申込み、問い合わせの件数も順調に推移し“まちあるき”に対する関心や気運がますます高まっています。
今後も、大阪あそ歩を通じて、大阪のまちのおもしろさ、歴史を掘り起こし、新たな大阪の魅力を内外に広く発信したいと考えています。さらに、地域における市民レベルでの様々なまちあるき活動を活性化させることで、全市域的なコミュニティ・ツーリズムの盛り上がりにつなげてまいります。
~「大阪あそ歩(ぼ) ’10春」の概略~
今回、催行されるコースは市内全区に広がり、そのコース数は昨年秋に全国の市町村最多コース数となりましたが、’10春はさらに自己更新をし、全国の市町村の中で最多コース数となります。