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自分自身の神話を持たない人々

2012 年 2 月 8 日

ユングはヒトラーの登場を北欧神話のヴォータンの復活となぞらえた。ユングによれば、近代とは古代神話(共同体神話)をロストした時代であると規定され、それがゆえにヒトラーに熱狂する大衆現象が巻き起こったと説く。つまり古代から連綿と続くゲルマン神話の英雄=「元型」への根源的欲求が暴発したというわけですな。変な話なんですが神話がない近代だからでこそ、大衆煽動に古代神話(共同体神話は元型の宝庫ですから)を持ち出すと魔術的効果を発揮して歯止めがまったく効かず、じつに危険な現象が起こる。日本だって神武天皇東征の神話と太平洋戦争とを同一視したような時代がありましたから。こうした大衆を煽動しようとする権力の狡猾な陰謀に仮託しないためには、自分自身の神話、自分固有の神話を持つことでしか対抗できない。そして、その神話の獲得と証明は結局、個人的体感に由来するしかない。古代の山の民は山に入って、山の神を「見た」から山の神を畏れ敬った。神話はライフに直結していて、じつにリアルであった!しかし近代人の多くはこうしたリアルな神話をまるで体感したことがありません。ユングは問う。「では君の神話とは一体なにかね?」。この問いに答えられない人間(自分自身の神話を持たない人々)は権力や何者かに利用され、いつだって第二、第三のヒトラーに熱狂する危険性だって否定できない。だからぼくは、まちを歩くことで、逍遥することで、ぼく自身の神話を探そうとしている。まるでアボリジニのウォークアバウトのように。アボリジニは4万年もの長きに渡ってウォークアバウト(神話の舞台を巡る旅。聖地巡礼)することによって自分自身の神話(じつに幸せなことにアボリジニたちは共同体神話と自分自身の神話を重ねることが出来る)を獲得し、証明してきた。その知恵と行動の先に、微かながら新しい文明の胎動のようなものをぼくは感じている。人間は、我々はもっとウォークアバウトするべきです。旅をするべき。歩くべきです。共同体神話は滅びました。だから世界を逍遥することで、個人的体感、ライフの中から、自分自身の神話を発見しないといけない。大変な時代ですな。いや、まったく。


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