「治す」よりも「癒す」

足がまったく動かなくなった病人の足に手をかざして「あなたの罪は許された」なんてことをキリストがつぶやくと足が動くようになった。そういうエピソードが聖書の中にはようさん出てきます。奇跡ですな。お釈迦さんは奇跡はおこしませんが、こんなエピソードがあります。子供を亡くした若い女性が半狂乱になって釈迦のもとにやってきて、この苦しみをどうにかしてくださいと懇願する。釈迦は「では、あなたのいう苦しみというやつをここにもってきてください」。女性は釈迦のいわれたままにあちらこちらを探すが、苦しみは見つからない。やがて釈迦のもとにやってきて「わたしの苦しみはどこにもなかった」と報告する頃には、すでに女性は苦しみから開放されていた・・・。

前者は「治す」ということ。後者は「癒す」ということ。医療の世界はドンドンと進歩しています。かつては「不治の病」であったガンやエイズも、やがて治す方法が見つかるかもしれない。しかし、また新しい病気(鳥インフルエンザとかエボラとか)が登場してくるだけだろう。「不治の病」を無理やりにでも「治そう」とすることを繰り返してきたのが近代科学。しかし「不治」でも「癒す」ことはできます。不治の病に犯された人でも「癒す」ことで救済することはできる。

今後の医療は、「治す」ということよりも「癒す」ということが大事でしょう。ほんとうの健康とはなにか?人間の生き方とはなにか?医療器具につながれて、心臓だけは動くように設定されて、そういう状態の中から、人間の尊厳やライフを維持することは、そりゃムツカシイでっせ。治そうとするから、そうなってしまう。癒すことの大切さ。近代医療(治す)から現代医療(癒す)へ。こういう時代へリードする役割が、仏教にはあるとも思ってます。


2012年 2月 19日
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