水木さん、合掌。
ぼくの妖怪体験はここから。光竜寺小学校のこどもルームにこの本があったんですな。夢中になって読みました。
怖いんですが「ぬらりひょんは勝手に家の中に入ってくるが、お茶を出せば飲んで帰る」とか「ぬりかべに出会って動けなくなったらご飯を食べると動けるようになる」とかうっかり妖怪と出会ったときのアドバイスや対処法なんかも書かれてました。おかげでぼくはいろんな妖怪と出会ったときの心構えが多少はできてます。残念ながら、いまだにぬらりひょんにもぬりかべにも会ってませんが。
よくいわれますが、妖怪は人間さまを警告するために産み出されたわけやないです。そういうのは人間の思い上がり。自然を汚した。だから妖怪がでてきて人間を懲らしめようとする。いやいやいやいや。んなアホな。妖怪はそんなわかりやすい存在やないでっせ。
人間はなにも悪いことなんかしてない。普段通りに生活してる。なのにいきなり足を斬られる。足を瞬時に斬られて、転ばされて、クスリまで塗られる。妖怪カマイタチですが、こういうように妖怪はただそうしたいからそうする。女子供老人障害者金持ち貧乏人LGBTだろうがまったく容赦しない。天井を舐めたいから天井を舐める(妖怪天井舐め)。小豆を洗いたいから小豆を洗う(妖怪小豆洗い)。この無垢さ。ドライさ。クール。イノセンス。人間なんてどうでもええんです。妖怪はただただ妖怪。そこに意味付けをしようとするのは人間の浅ましさ。森羅万象、なにもかもに意味があり、理解できるなんて思いあがりもいい加減にしたまえ!萬有の眞相は唯だ一言にして悉す。曰く不可解。
人間さまなんか与り知らぬところで、今日も妖怪は妖怪であり続けてる。それはまるで水木さんが水木さんであり続けた如く。これは、なかなかできることやないです。ぼくはぼくであり続けているか?あなたはあなたであり続けているか?
なにはともあれ、合掌。水木さん、ありがとうございました。
それにしても最近、合掌続き。なんやあっちの世界の方が楽しそうに感じてきましたわ。これは郷愁か?歳をとるとそういうもんなのか?
あ。ちなみに水木さんはじつは大阪市住吉区生まれです。ぼくと同じ。郷土の大先輩でもあります。どうでもええ話ですがw
ぼくの妖怪体験はここから。光竜寺小学校のこどもルームにこの本があったんですな。夢中になって読みました。怖いんですが「ぬらりひょんは勝手に家の中に入ってくるが、お茶を出せば飲んで帰る」とか「ぬりかべに出会って動けなくなったらご飯を食べると…
Posted by 陸奥 賢 on 2015年11月30日