史跡難波宮
2015 年 12 月 11 日
史跡難波宮。
日本が大化改新で難波宮に遷都し、律令制国家へと移行する7世紀半ば。唐では玄奘三蔵がインドから帰国して法相宗開祖となり、中国仏教は最盛期を迎える。その余波はやがて極東の日本にも伝播していく。東ローマ帝国はイスラム帝国に敗北して以後、永久にエジプトを失い、失墜。イスラム帝国では標準コーランが作られて、その明快な商業主義は大航海時代の思想基盤となり、全世界を席捲していく。
世界史的俯瞰でみれば難波宮は古代王政から中世社会への転換期を象徴するモニュメントとしてある。このとき、まさしく日本(難波宮)は世界に眼を向けました。残念ながらその眼は百済再興という妄言となって白村江の大敗北に繋がり、その反動で都は山背(山の背後)に移り、日本に海洋国家の道は開かれず、平安京という閉塞した時代に突入していきます。
難波宮は「世界」と呼応していた。ここに立つと、それがよくわかります。
史跡難波宮。日本が大化改新で難波宮に遷都し、律令制国家へと移行する7世紀半ば。唐では玄奘三蔵がインドから帰国して法相宗開祖となり、中国仏教は最盛期を迎える。その余波はやがて極東の日本にも伝播していく。東ローマ帝国はイスラム帝国に敗北して…
Posted by 陸奥 賢 on 2015年12月10日
カテゴリー: 雑感