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まわしよみ新聞は「21世紀のコーヒーハウス」を目指している(?)

2015 年 12 月 15 日

まわしよみ新聞は「21世紀のコーヒーハウス」を目指しているので(そうなのかw)読んでみました。

1650年、ユダヤ人ジェイコブがオックスフォードで初めてのコーヒーハウスを開店。当時は酒や賭博は禁止。ピューリタン革命の余波を受けて政論の場としてイギリス中に広がり流行していく。陰謀の温床となることを恐れた権力者なんかはスパイなども送り込んで政敵の流言蜚語などデマも流した。

やがて名誉革命を経て安定期を迎えると政治の場から経済の場へと変貌していく。イカサマ師、詐欺師、賭博師などが横行するがその中からロイズ・コーヒーハウスが誕生。世界最初の保険業者となる。

コーヒーハウスが政治の場、経済の場と変容する中で次第に充実していったのがジャーナリズム。閉鎖的なクラブと違い、貴族も庶民も豪商も外国人も受け入れるコーヒーハウスは大衆社会の縮図で、その中から新聞、雑誌といったマスメディアが発達する。

しかしコーヒーハウスの最盛期は18世紀の初めまで。衰退していったのは纏めると以下のような要因。

①店舗数が激増しすぎる。18世紀初頭にはロンドンだけで3000店舗数を数えた。明らかに供給過剰。

②差別化を図るために酒や賭博が横行した。コーヒーハウスのモラルが低下し、喧嘩や決闘騒ぎなども増加。

③コーヒーハウスの階層化が始まり、金持ちは金持ちのコーヒーハウス、庶民は庶民のコーヒーハウスとセグメントされていく。当初のコーヒーハウスは他者を受け入れるコモンズであったが、やがて身内ばかりが集まるコーヒーハウス=コミュニティ化して、その結果、コーヒーハウスの「人種の坩堝」的なカオスモスな魅力が低下。

④政権側、女性陣のアンチ。陰謀の場となることを恐れた権力者のコーヒーハウス禁止令や、男性のみが参加するコーヒーハウスに「コーヒーハウスに入り浸って家に帰って来ない!」と女性陣から反対論などもでた。

⑤ジャーナリストはコーヒーハウスで情報を収集したがコーヒーハウス経営者が「コーヒーハウス・ガゼット」なる新聞を発行してメディアを独占しようとした。ジャーナリストは独占に反対してコーヒーハウスと対立。ジャーナリストたちがコーヒーハウスから離れ始めた。

⑥イギリス政府の植民地政策の変容。コーヒーハウスのコーヒーはアラビアのモカを輸入していたがオランダが安いジョワ・コーヒーを輸入してヨーロッパを席捲。イギリスは貿易の力点をアジア・インドの茶にシフトしてコーヒーが徐々に飲まれなくなる。

⑦18世紀初頭のロンドン大火によってロンドンの都市住宅環境が変わる。それまでは路地だらけの密集住宅であったが大通りを作り、建物は移り火災を防ぐために前庭、後庭という構造になった。住環境が充実し、家の中で客人を招いてパーティーを開き、アフタヌーン・ティーを楽しむという国民文化が育まれる。外で飲む(コーヒーハウス)より家で飲む方(アフタヌーン・ティー)が経済的ということ。

⑧都市整備の結果、ロンドン郊外の庭園、公園などが充実し、そこで紅茶を飲むという習慣も発生。

⑨コーヒーハウスに喫煙者が増え、嫌煙者は近寄らなくなった。

⑩当初は新聞はコーヒーハウスでしか読めなかったが、新聞がコーヒーハウスから離れて一般化し、いろんなところで売られて読まれるようになった。

…などなど。一応、コーヒーハウス自体は19世紀初頭まで続くが、そのほとんどが廃業して、数少ない生き残りのコーヒーハウスも、やがて酒場、宿泊所、書店、印刷所と業種替えして、ほぼ潰えてしまった。残念。

個人的にこの本で面白かったのがコーヒーハウス3000店舗のうち、200店舗はフリーメーソン系のコーヒーハウスやったという記述。政治、経済、新聞だけやのうて自由、平等、博愛を歌うフリーメーソンの、その創成期にコーヒーハウスが果たした役割も決して小さくはない。宗教に拠らないフリーメーソン思想の蔓延によってアメリカ独立戦争、フランス革命などが起きていきますから、コーヒーハウスは近代国民国家の揺籃となった…。そういう意味でもコーヒーハウスは興味深いですな。

まわしよみ新聞は「21世紀のコーヒーハウス」を目指しているので(そうなのかw)読んでみました。1650年、ユダヤ人ジェイコブがオックスフォードで初めてのコーヒーハウスを開店。当時は酒や賭博は禁止。ピューリタン革命の余波を受けて政論の場と…

Posted by 陸奥 賢 on 2015年12月11日


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