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「当事者」ばかり炙り出し、「他者」を隠蔽するメディア

2016 年 7 月 12 日

ぼく自身は右でも左でもなく与党でも野党でもないノンポリなんですが、Facebookのタイムライン・・・ぼくの友人・知人・関係者の投稿記事を眺めていると、改憲4党が参院選で3分の2の議席を占めるなんてことは絶対にないし、明日にでも安倍内閣は倒れて、安保法制は破棄され、沖縄から米軍基地はいなくなり、日本全国の原子力発電所は止まり、世の中は猫だらけになりそうなんやけど、実際の世の中は全くそうはなっていない。

Facebookは結局、「自分の好きな人」「仲の良い人」「関係のある人」の集まりで・・・要するに「コミュニティ」でしかない。与党支持の人の周りには与党支持の人しかいないし、野党支持の人の周りには野党支持の人しかいない。またFacebookの運営は、同質性の高い友人・知人・関係者の記事であると判断すると、それらの記事を勝手に上位にアップする仕様やそうで、ますます自分とは違う意見の人、自分と異質の世界観の人・・・「他者」と出会わない構造になっている。「この本を買った人は、こんな本も買ってます」と、知らず知らずのうちに、同質性を押し付けてくるのがネット社会の特徴です。

これは結局、効率主義なんですな。なにかしらの「キーワード」の記事を書くと、アルゴリズムで勝手にキーワードに関連する広告が表記されたりする。目的に沿って、的確に、素早く、スピーディーに、有益な情報を入手したい。遠回りとか、逍遙するとか、無駄な行動をしたくないという、ビジネスマインドの浸透。異論なものを排除する思想。異見なものを見えなくする社会。同質性の高いコミュニティ同志で凝り固まってしまって、永遠に互いのコミュニティは交わらない。要するに世の中に「他者」がいない。「当事者」ばかり炙り出し、「他者」を隠蔽するメディア。こんな世の中で、一体、どうやって「他者」と出会い、どうアプローチするべきなのか?交流できるのか?対話できるのか・・・?

「いろんな他者が漂流し、入り混じり、交錯する場所」のことを「コモンズ」といいます。入会地を作る(コモンズ・デザインの)必要性は、ますます、いまの世の中に高まっていて、重要なことやないか?と感じてるんですが・・・。ぼくは粛々と、愚直に、コモンズ・デザインをやり続けてるつもりなんですが・・・。


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