観光家?
「観光」という言葉の由来は古代中国の『易経』から取られてますが、実際に日本で観光という言葉が世間に流布し、使われ出したのは明治維新以降。近代国民国家意識(ナショナリズム)の啓蒙として観光という言葉が使われ出します。
事実、世界最古の観光会社トーマス・クック社は世界最初の国際万博であるロンドン万博(これこそ世界に冠たる大英帝国の栄光を誇る世紀のナショナリズム・プロジェクト)で大成功を収めているし、日本最大のツーリズム会社であるJTBは1912年の発足ですが、これは1910年の日韓併合後を受けて国策によって誕生したもので「満蒙は日本の生命線」と若い人々を「大陸浪人」として大量に送り込んだ。労働力の確保のために観光が使われたわけですな。1940年の「紀元二千六百年奉祝大典」では「神武天皇の御聖跡を巡る」という観光キャンペーンを展開して、奈良・橿原神宮に1000万人規模の参拝客の動員に成功しています。「神国日本」という共同幻想の完成(それは1945年の敗戦という歴史的悲劇へと繋がるわけですが)。ナショナリズムとツーリズムは持ちつ持たれつの相関関係で表裏一体やった。※このへんの話はケネス・ルオフの『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』に詳しいですm(_ _)m
https://www.amazon.co.jp/dp/4022599723
ぼくが単純に「観光プロデューサー」とか「ツーリズム・ディレクター」ではなくて、「観光家」というちょっと聞きなれない、特殊な、独特な名乗りを上げているのは、既存の「観光(=近代観光)」を礼賛する意図では決してなくて、むしろ、こうした近代観光の贖罪を強く意識しながら、それを脱構築して、新しい観光を作りたい(=観光の作家になりたい)・・・という意思表明の現れだったりします。近代観光の限界。ポスト・モダン・ツーリズム、コンテンポラリー・ツーリズムの可能性。「死生観光」とか「当事者観光」とか「静かな観光」とかいって、ようわからん観光プロジェクト(ww)を展開しているのは、そういうわけです。
なんや酒の席ですが「陸奥さん、観光家なんですか?観光家ってなんですのん?」と改めて問われましてww ぼくなりに言葉にしておきます。