後鳥羽上皇墓。順徳天皇墓。
2020 年 6 月 16 日
後鳥羽上皇墓。順徳天皇墓。
承久の乱で敗北し、流された上皇と天皇。怨霊神ですな。
ご存知『小倉百人一首』の99番歌と100番歌はこの2人で締められる。1番歌と2番歌は天智天皇と持統天皇の父娘で、明らかに「歌のはじまり」と「歌のおわり」がシンメトリック構造を意識して配置されている。
天智天皇、持統天皇から「天皇の時代」が始まり、それは要するに「歌の時代」の始まりです。天皇家というのは歌を詠む一族ですからな。和歌による言祝ぎで国家安寧を祈願する。そして勅撰和歌集を作ることこそが天皇家の最大の仕事のひとつでした。
その「歌の時代」が武士の台頭という「力の時代」によって終わる(承久の乱で天皇家は北条政子に敗北した)。終わるが、なんとかして輝かしい歌人の文化を、芸術を、後世にまで残したい。伝えたい。
そこで当代一流の歌人であった藤原家隆と藤原定家が、7世紀から13世紀にかけて、約600年間に及ぶ歌の時代の結晶を100首選び、編纂した…というのが『小倉百人一首』。
「滅びの美学」ですな。しかし、見事に、百人一首は、カルタ遊びとして、残った。
日本人とは何か?日本文化とは何か?という疑問に『小倉百人一首』は1つの回答になり得ます。それぐらい、深い。
カテゴリー: 雑感